GWに久しぶりに実家に帰ったら、親が突然「ネット右翼」になっていた——。

 これは現代において、決して珍しくない事例である。ネット上でヘイト行為を繰り返して逮捕・裁判に及んでしまう人のほとんどが、50歳以上の「シニア右翼」なのだ。

 ここでは、かつて保守系の衛星テレビ局「チャンネル桜」の番組にレギュラー出演し、右翼と「同じ釜の飯を食っていた」という文筆家・評論家の古谷経衡さんが、右翼の実像を論じた『シニア右翼』から一部抜粋。古谷さんが出演していた番組に対して「とうとう全部嫌になってしまった」理由とは——。(全2回の1回目/続きを読む)

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東日本大震災と原発賛成・護持

 2010年の6月に民主党政権内で鳩山由紀夫から菅直人に首班が交代し、翌2011年の3月11日、あの忌まわしい東日本大震災が起こった。このころの私はどうであったのかというと、前掲のチャンネル桜で週一のレギュラー番組を獲得してすっかり常連、レギュラーメンバーの一人となっていた。その都度のゲスト出演ならばともかく20代の出演者がレギュラーを持ったのは同局の歴史において初めてである。

 3・11は保守界隈に奇妙な反応をもたらした。激震と津波により福島第一原発の電源が全部喪失し、原子炉が冷却できなくなるという未曽有の危機が一服してくると、保守界隈は口をそろえて原発護持を一斉に叫びだした。

©AFLO

 福島原発事故の危機的状況が、即東日本壊滅とはならないようだと判明した2011年5月ごろから、保守界隈は沸き上がる原発反対・原発廃炉の世論の声を黙殺してまた「民主党政権打倒!」を叫ぶ通常運転に戻った。あれだけの国家的な原子力災害を経験したのに、原発政策に対しては金科玉条のごとく賛成・護持を貫いて、何の反省も無かった。

 3.11から半年以上が経過した2011年冬、私はH君という熱心な視聴者に出会った。H君は視聴者として一方的に私を知っているという邂逅だった。どこの世界でも、どの業界でも例外がある。保守界隈はシニア右翼の老人ホームであると何度も書いてきたが、この界隈にも例外がありごくごく僅かに、若者という人々が熱心な視聴者として存在した。