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レギュラー番組が若者向けにリニューアル

 2012年は私の物書き人生にとって一つの転機であった。同1月に私の初めての単著が都内の小出版社青林堂から発売されたのである。これはデビュー作としてはまず成功の部類で重版した。私は結局この出版社から2012年11月に至るまで3冊の単著を出すことになって、またかつ翌2013年には青林堂が定期刊行する右翼雑誌の編集長なども務めた(前掲)のだが、その詳細は面白くもなんともないので省略する。

 この間、チャンネル桜出演とその傘下である政治団体Aへの参加頻度はますます激増した。まずチャンネル桜のレギュラーの方だが、2次の改変を経て数年間継続し、すっかり同局の目玉番組のひとつというところになっていた。3.11直後、それまで私と共演していた右翼活動家のA女史が降板したことが理由で最初の改変がやってきた。

 A女史は私より1歳年下で韓国が嫌い、中国が嫌い、『朝日新聞』が嫌い、民主党政権が嫌いという典型的なネット右翼のロイヤルストレートフラッシュを完備していたが、基本的な社会科学や歴史の知識が欠落していた以前に国語力が無かった。どのように無かったのかを簡略に記すと、「慎重」という漢字が読めなかった。数少ない貴重品のような同世代の知識水準が落盤事故レベルのありさまなのである。

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 これではダメだという私の堪忍袋の緒が切れる形で、番組は私を中心とした数名のコメンテーターを迎えたひな壇型の番組になった。当時私は30歳になろうかというところでチャンネル桜としてはこの1次改変を奇貨として「完全に若者向けの番組にリニューアルすることにより、若い視聴者を獲得したい」という趣旨を前面に押し出すようになった。チャンネル桜も自局の視聴者がシニアばかりなので視聴者年齢層を下方に拡大したいという強い必要性を自覚していたのであった。

 しかしながら、揃えられた数名のコメンテーターは皆私より年上で、相対的に若いとはいえアラフォーか45歳とかの人たちだった。若者を集めようにも若者がいない業界なのだ。それどころか、またぞろ彼らは基本的な社会科学の知識が全くなく、「日本が好きです、日本を愛しています」「靖国神社が大好きです」と連呼するだけで何ら具体的なコメントができる者は絶無だった。

 その知識源は必ずと言ってよいほどネット動画番組で仕入れた虫食い状のもので到底お話にならない素人だった。韓国に行った事がないにもかかわらず皆韓国人を憎悪していた。韓国政府を批判するというのは良いが、彼らは政府と国民を分別することができず、韓国人そのものをネット動画から仕入れた差別的なデマ情報に基づいて一方的に憎悪していた。

 在日コリアンに一度も会ったことがないのに、彼らには特権があると言ってきかなかった。どのような特権があるのか具体的には知らないが、NHKやテレビ・広告代理店・新聞社は在日に支配されていると思い込んでいた。