空白の40分の謎
宮古島の「東海岸線」を北上した《106号》は、左図のとおり、全長1425メートルもある大きな橋で陸続きとなっている池間島をさらに北へ向かった。
同3時54分、池間島の最北端の先の海上で西へ進路を変え、今度は一転、南下した直後、宮古空港の管制官との通信を行った。その通信には、防衛省の発表どおり、「ロスト」を予見されるものはなかったことが同じく『報告』にも存在した。
《106号》が池間島の北端に達したのは、離陸してから7分後、『報告』では、
〈1553〉(3時53分)
そして、《106号》のコックピット右席に座る機長が、略称「D-NET」、正式名「災害救援航空機情報共有ネットワーク」とリンクするスイッチを稼働。そして機長もしくは左側に座る副操縦士は「1546、宮古、離陸」と入力するのと同時に、通過した座標「北緯245706、東経1251444」(筆者註・池間島北側の海上)を打ち込んだと『報告』にある。
D-NETとは、宇宙空間に数々のミサイルを打ち上げているJAXA(宇宙航空研究開発機構)が運営する、ヘリコプターなど航空機の危機管理情報を共有するシステムだ。
最近では、自衛隊も、飛行機の混雑によって事故を発生させないために、離陸したならば、このシステムにチェックインして飛行するポイントごとの座標を入力するケースが多くなっている。
次に『報告』に登場するのは、
〈1628〉(4時28分)
SNSアプリで、自衛隊側から《106号》の副操縦士へ通話通信を試みたというものだ。その結果は「応答せず」と『報告』にある。
SNS通話発信を行った後で『報告』に登場する記録は、
〈1633〉(4時33分)
《106号》が分屯基地と交信を行ったというものだ。
しかも、その後、
〈1640〉(4時40分)
この時刻になって初めて、分屯基地のレーダーから「ロスト」したとの記録が『報告』に出てくる。
だが、防衛省が発表している「ロスト」時間は、
「3時56分」
『報告』と40分以上も違う。
敢えて言うならば「空白の40分」である。
『報告』には発表とは“異質”な内容がまだ続く。
〈1640〉(4時40分)
陸自側は、「航空救難」を関係機関に最初に流した。
それを受けて航空自衛隊の那覇救難隊が救難機スコットを「ロスト」地点との情報を受けた座標へ向けて緊急離陸させるとともに、
〈1653〉(4時53分)
第8師団司令部に電話を入れ、《106号》の飛行状況の詳細を求めていた。
さらにその4分後、
〈1657〉(4時57分)
西部方面隊司令部から分屯基地に《106号》の状況を確認している。
その時の分屯基地の反応が『報告』にある。
「現在のところ、《106号》の着陸を確認しておりません」
さらに『報告』にはこうある。
〈1702〉(5時2分)
自衛隊側は初めて、国土交通省が管轄する宮古空港管理事務所へ《106号》について把握していることはないか、と照会した。
さらに、
〈1706〉(5時6分)
分屯基地は、《106号》と連絡がとれていないことを西部方面隊に伝えていた。つまり、この段階に至ってもまだ、事態を把握していないような雰囲気なのだ。