作家・麻生幾氏が事故の謎に迫る「陸自ヘリは中国に撃墜されたか」を、月刊「文藝春秋」2023年6月号より一部転載します。

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浮かび上がる“異質”な部分

「ナハタワー、デスイズ、UH、106(ワンゼロシックス)、リクエスト、テイクオフ」

 陸上自衛隊(陸自)「第8師団」に属する「UH-60JA」ヘリコプター――無線コールサイン《106号》が、沖縄県那覇空港の管制官に離陸(テイクオフ)の許可を求めた。

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UH-60JAヘリコプター Ⓒ時事通信社

 間もなくして認められた《106号》が、宮古島を目指して那覇空港を飛び立った。その日時は、

 4月6日木曜日

〈1253〉(筆者註・午後12時53分。以下同)

 この日時は、防衛省が当時、メディアへ行った広報にはない。第8師団の上級部隊である「西部方面隊」を通じて、「東京の防衛省が受けた口頭による逐一の報告」(以下、『報告』)の中に記録されていた。

《106号》がレーダーから「ロスト」(消失)してから2週間後、複数の政府機関の関係者の話を総合して『報告』の中身を知ることとなった。

 その結果、『報告』に記されていたものは、これまで防衛省が発表してきたものとは、“異質”だった。

 例えば、《106号》がレーダーから消えた時刻について、防衛省がメディアへ発表したのは、

〈午後3時56分〉。

 だが『報告』では、

〈1640〉(同4時40分)

 と、40分以上も違っている。

 “異質”なのはそれだけではない。《106号》がレーダーから消えた「場所」についても、メディアに発表された内容と、『報告』の内容とはまったく違っていた。

 しかも《106号》が“事故である”と防衛省が正式に発表するまでの約7時間の間にも、幾つかの“異質”な部分が存在する。

 なぜそれら“異質”なことが発生したのか、その「謎」を追ってみた。