ウェルズ 子供の頃に父と過ごした休暇や母との思い出など、部分的に私自身の記憶や体験をもとにしましたが、物語全体はフィクションです。一方で描かれている感情や気持ちはすべて自分が経験したもの。だから私はこの映画を「感情的な自伝」と呼んでいます。
――この映画は一見シンプルなようで、20年前のソフィがカラムと過ごした日々と、成長したソフィとの思いが交差していく複雑な構造となっています。このような構成をどのように思い付かれたのでしょうか。
ウェルズ まずは20年前にビデオカメラで撮った映像や写真があり、それをもとに大人になったソフィが過去を振り返っていくという構成を脚本の第一稿で書き始めました。そうするうち、この物語のテーマは記憶だと気づき徐々に脚本を書き換えていきました。実は脚本の時点では、クラブで大人になったソフィとカラムが交差するというアイディアはまだなくて、かなり後になって加えました。そして結果的にこのシーンが映画のクライマックスになりました。
たしかに映画の構造はとても複雑です。大人になったソフィが全体を眺めていて、その中に子供時代のソフィの視点とカラムの視点がそれぞれに存在している。すべての視点をバランスよく繋げていくために、撮影が終わった後も編集段階でもう一度始めから組み立て直したり、試行錯誤を繰り返しました。脚本を書き始めてから完成までには8年もの時間がかかりました。
記憶を掘り起こしていくけれど、決して理解できない部分は残りつづける
――この映画のなかで父親のカラムを映すときには、背中から撮ったり、鏡越しだったり、どこか距離を置いた視点で眺めていますよね。
ウェルズ 私は、たとえ観客がすぐにはこの物語を理解できなくても、徐々にここで起きていることを理解していくようにしたい、それをカメラワークによって示したいと考えていました。子供時代のソフィの話から突然大人になったソフィの姿に切り替わっても、驚いたりせず、当然のようにそれを受け止めてほしかったんです。