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 ゴルフをやっていたときに炭水化物を多く採っていたのは、持久力維持のためでもあったのですが、疲労を取るためにも欠かせなかったんです。だから、お米をすごい食べていたんですけど、それを鶏のささみ、豆腐とか、たんぱく質中心にしました。

 ゴルフ焼けは、一度全身を日焼けさせて、肌の色を均一化させることで、なんとか。

ーーメイクなどもガラリと変わるわけですか。

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阿部 それまでは「日焼け止めを塗って終わり」程度だったので、まったくメイクのことがわからない状態でスタートしました。道具の種類から使い方まで、イチから教えてもらって「こういうのがあるんだ」って。でも、自分が変わっていくのは楽しかったですね。

 

ーーミス・ユニバースは世界規模の大会ですから、メンタル面でも試される場面が多そうです。ゴルフに打ち込んできたことが活きたことは?

阿部 めちゃくちゃ活きました。ゴルフがあってユニバースに挑んだので、考え方からすべてが活きましたね。ストイックにやっていけるとか、ポジティブに考えられるとか。千葉代表の審査中は、ホテルに2週間泊まり込みで、一歩も外に出ないでトレーニングしたりするんです。

 日々なにかをチェックされるし、私の頃はどちらかが落ちて、どちらかが進めるという、誰かと誰かを比べる審査が多かった。私はぜんぜん平気だったんですけど、他の子たちは「キツい」という雰囲気でした。

「阿部さんの娘か」日本代表に選ばれてついにバレる

ーーお父様はミス・ユニバースへの挑戦には反対もせず。

阿部 父は私が芸能界へ進むことには反対だったので、ユニバースをやりたいことや応募していたことは黙っていたんです。でも、さすがにユニバースの千葉代表になったときには言いました。

 

 父は学生の時からモデルをやったり俳優をやったり、それでも食べていけないから家庭教師もやってと、若い頃から苦労をしてきたんです。その経験を娘にはさせたくないとのことで、反対していたんですね。

 ユニバースに応募した話をしたら、しばらく心配していましたね。心配というよりは、はなから「娘が落ちたら」といったことを想定しているんですよね。だから「落ちたら、こうなるんだよ」みたいに、落ちる前提で話をしてくるし。私が傷つくことを案じているというよりも、父がショックを受けたくなくて自ら予防線を張っていましたね(笑)。

父・阿部祐二さん(左)と、阿部桃子さん、母・阿部まさ子さん(右)©時事通信社

ーー千葉代表、日本代表と進んでいくにしたがって、お父様も応援モードに突入していったのでは。

阿部 そうなんですよ。日本代表になったら、もうそこからはうれしくてうれしくてしょうがなかったらしくて。ユニバースのときは父のことを誰にも話さないでいたんですけど、日本代表に選ばれたときに父が「やったー!」と喜んでる映像が流れてから「ああ、阿部さんの娘か」と知られるようになって。