ソウルに到着したのは対局開始の2日前。これは本体組も一緒だったが、そもそも泊まるホテルが(日本からの飛行機も)違う。対局が行われた新羅ホテルはソウルでも有数の高級ホテルだが、こちらが泊まったのは、そこから電車で数駅ほど離れた安ホテルだ。
少しでも土地勘を養おうと、ガイドブックを片手に宿泊先から新羅ホテルへ徒歩で向かった。異国の夜道を1時間ほど1人で歩くとは、今から思うと無茶なことをしたものだ。
取材にうかがうことは事前に伝えていたので、対局場に到着できれば何とかなると考えていた。実際、その夜に新羅ホテルで当時の読売新聞担当記者である小田尚英氏に会うことができた時はものすごくホッとした。合わせて翌日の観光にも同行できる許可をいただき、二重に安堵した。
帰国する日に某棋士が危うく迷子になりかけてトラブルに
翌朝、今度はさすがに電車を使って新羅ホテルへ。対局者の2人と立会人の加藤一二三九段、富岡英作八段など、関係者一同がバスでソウル市内観光に向かう。対局場へ戻ってからは検分と前夜祭だ。ここまで来ると日本国内の対局と同様である。
前夜祭のあと、渡辺とホテルの和食レストランへ向かい、うどんをすすった。対局者が前夜祭で食事をとる余裕がない(現地ファンや関係者への対応に追われるから)のは国内でも国外でも変わらない。コロナが5類になったことで、前夜祭での対局者との交流は以前のように戻るだろうか。
当時はスマホやモバイル中継はまだない時代。インターネット配信はあったが、それを見るためのノートパソコンをまだ持っていなかった。よって対局中はほぼずっと控室に詰めていたと思う。他社の取材陣ともども、加藤節を楽しんでいたはずだ。
本体組と同行したのは対局終了後、打ち上げまでだったと思う。翌日は1人で帰国した。本体組も帰国するその日、某棋士が危うく迷子になりかけてトラブったという話を、複数の関係者から相次いで聞かされたのも懐かしい。
今回のベトナム対局はどのようにファンの心を打つのか
海外対局というと、どうしても対局以外の部分もクローズアップされがちだ。特に以前と比較して動画中継がされる機会及び、観る将棋ファンが増えたことでその傾向が強くなったと思う。
しかし、海外対局が将棋ファンの心を打つ名対局になることも多い。前述のパリ対局もそうだし、世の振り飛車党が歓喜したであろう「藤井システム」のタイトル戦デビュー局となった1998年の第11期竜王戦第1局もアメリカ・ニューヨークで行われたものだった。筆者が谷川-羽生戦の最高峰と信じて疑わない1992年の第5期竜王戦第1局も、イギリス・ロンドンで行われた一局である。
今回の藤井-佐々木戦のベトナム対局は、将棋ファンの心をどのように打つのだろうか。
※ご指摘をいただき、記事中の一部を加筆・修正しました(2023年6月6日13:45)。