藤井聡太棋聖に佐々木大地七段が挑戦するヒューリック杯棋聖戦五番勝負が始まる。引き続いて行われる王位戦七番勝負もこの両者で争われるなど、注目点の高い「夏の十二番勝負」だが、まず耳目を引いたのは棋聖戦の第1局が海外のベトナムで行われる点だろう。海外対局は2019年の台湾で行われた叡王戦以来で、この棋聖戦第1局が25回目(うち2回が女流棋戦)となる。

藤井聡太にとって、「棋聖」は自身が手にした初タイトルでもある ©文藝春秋

過去には海外対局ならではのトラブルも

 なぜ海外対局が行われるか。一言でいえば「将棋の海外普及のため」となるのだが、それを実行するのは容易ではない。単純に費用だけを考えても国内と比較してはるかにかかるし、また海外対局ならではのトラブルも生じる。例えば対局場に和室がなく、絨毯の上に将棋盤を置いたところ、その自重で盤の足が絨毯に沈み、軽くて沈まない駒台との高さが合わないということがあった。

 そもそも海外には将棋盤を持ち込むことすら大変なのだ。将棋盤は木でできているため、国によっては検疫で引っかかる可能性もある。本項では改めて海外対局の歴史を追っていきたい。

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 これまで行われた海外対局のうち、国別にみるとアメリカと中国が7回、フランスと台湾が2回。あとはドイツ、タイ、イギリス、シンガポール、オーストラリア、韓国、そして今回のベトナムとなる。

ベトナムの「ダナン三日月リゾート&スパ」にてヒューリック杯棋聖戦第1局の前日検分を行う藤井聡太棋聖(左)と佐々木大地七段(右) 写真提供:日本将棋連盟

ゴミ箱までも日本から空輸してのハワイ対局

 初めて行われた海外対局は、1976年の第1期棋王戦決勝リーグ、内藤國雄九段-大内延介八段(のち九段)戦。アメリカ、ハワイのホテル「カハラ・ヒルトン」で実現した。棋王戦の創設に尽力した元共同通信記者の田辺忠幸氏によると、芹沢博文九段がハワイで史上初の公式戦という構想を打ち出し、企画が立てられたそうだ。ハワイに決まったのは日系人が多いからという理由で、冬に行われる棋王戦なら時期もよいということだったようだ。

 芹沢九段はことが決まってから2度ハワイに飛び、対局場と大盤解説会場を決めて、合わせてホノルルで将棋まつりを開く話までまとめたという。将棋盤、駒、駒台だけではなく、脇息、座布団、(盤側に置く)ゴミ箱まで日本から空輸してのハワイ対局だった。

 この第1期棋王戦は内藤、大内、高島弘光七段(八段)の3名が決勝リーグに進出し、ハワイ対局は当初、内藤-高島戦で行われる予定だったが、飛行機嫌いの高島が辞退したことで内藤-大内戦となり、千日手指し直しから内藤が勝っている。そして決勝リーグは内藤と大内が3勝1敗で同率となり、プレーオフを制した大内が第1期棋王の座に就いた。

(※注:高島が飛行機嫌いとは、2006年に発行された『将棋 八大棋戦秘話』にて田辺氏が書かれていることだが、「将棋世界」1996年6月号のインタビュー記事で高島八段は「飛行機は嫌いではなく親戚の家にいくのに利用していた。棋戦進行の途中でハワイに決まったのが納得できなかった」ことを辞退の理由に挙げている。また第1期棋王戦が行われた時期の「将棋世界」1976年3月号には「高島七段が肉体的に長時間の飛行機旅行が無理とわかり、敗者復活戦勝者の大内八段に変更された」というくだりがあるので、それぞれ追記する)