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道幅激狭、道路の先は行き止まり…広島県の山間に佇む正体不明の“謎トンネル”がつくられた“意外な経緯”に迫ってみた

2023/06/21

genre : ライフ,

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ついに判明した道路建設の経緯

 道が竣工したのは昭和57年。中国道が昭和58年なので、1年早いことになる。しかし、建設工事は同時に並行して行われていたという。また、謎のトンネルがある道は、竣工時から林道大井山線だった。林道建設を発注したのは、合併して安芸太田町になる前の筒賀村。これにより、あの道は筒賀村が管理する林道として建設されたことは間違いない。

 建設時の写真も見せていただいたが、立派な橋梁が築かれ、当初から高規格な設計で造られた林道であることが分かった。この先は私の推測になるが、高速道路と同時に林道が建設されたのは、互いに干渉することを避けたためだろう。同じ山の斜面に並行する道路を別々に造ろうとすると、法面工事等に影響を与え、何かと厄介だ。そのため、造るなら一度に造ってしまおうということは、道路建設においてはよくあることだ。

 当時の筒賀村は林業で栄えており、多くの村有林を所有していた。材木の売却益は村の収入源にもなっていたとのことで、林道の整備に力を入れた結果、一見不釣り合いな立派な林道が誕生したのではないだろうか。

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どんな道にも必ず造られた理由がある

 また、立派な林道が短距離で終わっていることについては、将来的には延伸する計画があったのではないかと考えている。地図を見ると、謎の道を終点付近から先へ延ばすとすれば、山に沿って大きく右に曲がっていくルートが予想される。それに対して、中国道は真っすぐ川を渡って別の山へと入っている。つまり、終点より先は、建設するとしても中国道に支障は出ない。後から建設するのが厄介な区間だけを、中国道と同時に造ったのではないだろうか。

 そして立地的な関係から、林道は中国道の管理にも使われていただろうし、実際に中国道関連の電波基地局も設置されている。そうしたことから、中国道の管理道というイメージが定着したのかもしれない。

 謎のトンネルは林道だった。それが結論になるが、結論に達するまでの過程がとても面白かった。繰り返しになるが、道を造るには必ず理由がある。立派な林道を造ったものの林業そのものが衰退してしまい、道は目的を失ってしまった。時間の経過とともに目的が分からなくなり、それでもまたいつか、利用される日が来るのを待っている。なんともロマンチックな道ではないか。

INFORMATION

本記事を執筆した鹿取茂雄氏がNHKカルチャー名古屋教室で道路講座を開催します。日本にある道の中から厳選した珍しい・面白い道の謎に迫る同講座はオンラインでも視聴可能。
詳細はこちら(https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1275235.html)からご確認ください。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。

道幅激狭、道路の先は行き止まり…広島県の山間に佇む正体不明の“謎トンネル”がつくられた“意外な経緯”に迫ってみた

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