藤田嗣治といえば、乳白色の下地に黒い極細線で描いた裸婦画が有名ですが、実はそのような作品群はほぼ1920年代に集中しています。「舞踏会の前」はまさにその時代に描かれた、裸婦群像画の大作。藤田のお気に入りだったようで、パリの自宅のサロンに飾っていました。
この絵がどういう場面を表すのか、正確には分かっていません。中央の女性は後に藤田の3番目の妻となるフランス人のユキ、そして左の着衣の女性は藤田を含めた芸術家たちを支援していたロシア人芸術家マリー・ヴァシリエフであることから、自宅で開いたパーティではないかという見方もあります。
構図は、正面を向いて直立するユキを中心に、ほぼ左右対称です。彼女のみ白く抜かれた背景、背後の布が描く半円、左右の女性の彼女に向けた視線、放射状の床板。これらがユキの主役感を高めています。さらに、人物の中で彼女の瞳だけが真っ黒。しかも、目の部分の線描は黒々としていますが、顔の他の部分を描写した黒線は半透明の白い上塗りで淡くしてあり、目の黒さが一層映えます。彼女の足元の仮面だけが真っ黒なのは、目の黒さと呼応させるためでしょう。
背景部分には黒い斑点模様が見え、ザラッとした印象があるのに対し、女性たちの肌は非常に滑らか。意識的に描き分けているようです。
藤田は下地作りにこだわり、絵肌の質感そのものによって、裸婦の肌の艶や柔らかさを表現しようとしました。白地を生かすため、色もごく薄塗りです。しかし、その象牙のような絵肌の製法は彼が秘密にしていたため、長らく謎のままでした。近年の科学分析でようやく明らかになり、下地に炭酸カルシウム(或いは石膏)が加えられていると分かりました。それが油と混じることで気泡を生じさせたようです。黒い斑点は陰影を施す黒い絵の具がその穴に入り込んだもので、藤田作品の大きな特徴の一つです。
また、タルク(ベビーパウダーに使われる粉)を塗ることで透明感のあるマットな質感を得ていました。上塗りにも混ぜて使っていたようです。本作でも、特に肌の部分に多く使用されているため、肌が違う質感を見せています。
藤田は1913年、当時の芸術の中心地であったパリに渡りました。その頃、当地では力強く太い線、濃厚な色彩、厚塗りの表現が台頭してきていたのですが、彼はあえてその流れに抗い、いわば逆張りのスタイルを作り上げ、画壇の寵児へと上り詰めます。所蔵する大原美術館には藤田と同時代の作品が並んでいるので、ぜひ見比べて藤田の独自性を味わってください。
どんなディテールもおろそかにしない面相筆による線描は日本画を彷彿とさせますが、同時に西洋画の版画などに見られる線画も想起させます。そこが単なる日本趣味ではなく、西洋絵画でお馴染みの裸婦という画題と相まって、西洋人に訴えるものとなったのでしょう。藤田の見事な戦略と、それを実現する手仕事が勝ち取った成果だったのです。
INFORMATION
藤田嗣治「舞踏会の前」
大原美術館にて 常設展示
https://www.ohara.or.jp/