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鶴見中尉を中心とする、「異性愛家族主義」
本作は女性登場人物を男性読者向けに性的に描き出さないことが肯定的に指摘される向きもあるが、このように別の形で男女の二項対立的な論理が存在している。
現実のジェンダー構造を反映したかのように、徴のない男性身体を持つ登場人物たちが、刺青を持った囚人たちの有徴の身体を欲望するという構造が存在する。同時に、男性身体の魅力を「見えているが見えていない」ものにすることで、同性愛的に解釈する可能性を仄めかしながら封じ込んでもいる。
この作品内の独特な男女二元論は、第七師団の男たちの間で、ある種の異性愛家族主義としてあらわれる。
第七師団の男たちの欲望の物語の中心にいるのは鶴見中尉である。鶴見が精神的に興奮すると体を痙攣させ琺瑯の額当ての隙間から脳髄液が漏れだす様は明らかに射精であり、男性的な力の象徴(ファルス=象徴としての男性器)となっている。
『ゴールデンカムイ』の読者の皆さんは、第七師団の主要登場人物たちがこの鶴見の発する万能感を伴った魅力に惹きつけられていることは説明するまでもないだろう。鶴見の発する魅力との関わりが、第七師団の男たちにとっての大きな問題となる。
例えば、最終巻306話で、鯉登少尉は「ボンボン」であるという負い目を克服し、自分の顔に刀傷を受けながらも、刺青を持ち有徴化されている土方歳三を斬り倒すことで、いわば「男になって」自立し、鶴見の魅力から完全に抜け出す。しかし、鯉登自身が魅力の中心となり、部下である月島軍曹は精神的依存対象を鶴見から鯉登に移行させるのである。