ヘボンは善一郎に「外国人向けの洋風宿泊施設を作れば成功する」と勧めた。そこで善一郎は自宅を改造し、「金谷カテッジイン」という民宿を始めた。当時、善一郎は21歳だ。これが現在の「日光金谷ホテル」のルーツだ。時に1873年。いまから150年前のことだった。外国人観光客は「サムライ ハウス」と呼んだという。
この建物は現存しており、金谷ホテル歴史館として公開されている。約360年前に建てられた武家屋敷だ。“日本最古のリゾートホテル”が武家屋敷だったというのは愉快だ。
武家屋敷の宿泊体験も外国人にとっては興味深かったことだろう。大英帝国の女性紀行作家、イザベラ・バードも訪れ、1880年に出版した「Unbeaten Tracks in Japan」で紹介している。宿帳(ゲストブック)が現存しており、そこにはイザベラ・バードのほか、大森貝塚を発見したエドワード・モース、第18代米国大統領ユリシズ・グラント、長崎の邸宅で有名なトーマス・グラバーのサインがある。
ホテルの歴史が聴ける館内ガイドツアーも
1890年に日本鉄道日光線(現・JR東日本日光線)が開通した。これを商機とみたか、善一郎は現在の場所に「金谷ホテル」を建設し、1893年に開業した。「金谷カテッジイン」創業から20年後だ。そして1929年に東武鉄道日光線が開業する。戦後になって国鉄と東武鉄道は東京~日光輸送で激しく競争するけれども、金谷ホテルにとってはお客様が便利になること。鉄道の集客競争も大歓迎だったことだろう。
金谷ホテルも著名人の宿泊が多かった。ノーベル賞の物理学者アルバート・アインシュタイン、飛行冒険家チャールズ・リンドバーグ、社会福祉活動家ヘレン・ケラー、第34代米国大統領ドワイト・アイゼンハワー、インド首相インディラ・ガンジー、英国アン王女とマーク・フィリップス夫妻、昭和天皇皇后両陛下、皇太子殿下と美智子妃殿下などなど……。