本田さんが経緯を説明する。「南阿蘇村で演奏する機会があって、帰りに寄って弾いたのが最初です。木造駅舎で演奏できるなんて、すごいでしょう。解放感があって、気持ちがいい。トロッコ列車のウエルカム演奏もしてきました。熊本地震が発生する1週間前にもトロッコ列車を迎えたんですよ」。携帯電話で写真や動画を見せてくれた。
被災はショックだった。「でも、廃線になるなんて思わなかった。復活を信じて、チャリティー演奏もやりました。あれから7年。全線運行が再開されて感無量です。長かったな」。本田さんはしみじみと語り、ボムボムとベースを鳴らした。
運休中には線路を歩くイベントも
この日はもう一人、ボーカルとギターを担当する熊本市の緒方忠人さん(59)が出演した。緒方さんは車の調子が悪くなって遅れたが、午後1時、2時、3時と、1回につき30分間ずつ行うステージのギリギリで滑り込んだ。
演奏が始まる。緒方さんのトークは軽妙だ。
「南阿蘇鉄道の再開、おめでとう!ということで、列車にちなんだ『ロング・トレイン・ランニン』」
アメリカのロックバンド、ドゥービー・ブラザーズが1973年に発表した曲だ。長い列車が走るという意味のタイトルが、紆余曲折があっても再び未来に向けて走り出そうとしている南阿蘇鉄道の姿に重なる。
「続いて、この曲を聴くと、どうしても線路の上を歩きたくなりませんか。『スタンド・バイ・ミー』」
4人の少年が線路を歩くシーンが印象的な映画の主題歌だ。映画ではアメリカの歌手、ベン・E・キングが歌った。
南阿蘇鉄道でも運休中に、線路を歩くイベントが行われた。多くの人が参加したが、全線運行の再開で不可能になった。一抹の寂しさはあるものの、喜ばしいことである。
隠れ里ならぬ、隠れ駅のような加勢駅
木造駅舎や運行再開にマッチした曲が続く。気になったのは、観客が動画撮影係の前田さんの妻と私の2人しかいなかったことだ。「熱演なのに惜しいな。このあと観客は増えるだろうか」。後ろ髪を引かれながら、長陽駅を後にした。たった10駅であっても、全駅を回るには時間が掛かる。後で聞いたら、「2回目以降はぱらぱらお客さんが来ました」(前田さん)という話だった。
次は「加勢」駅だ。旧国鉄から第三セクターに転換した1986(昭和61)年に開設。ほんの小さな駅舎ではあるが、トイレも、駐車場も、駐輪場もある。高校生の通学などのために地域で大事にしてきたのだろう。不通区間なのに、きれいに掃除されていた。
ただし、進入路が細くて分かりにくく、隠れ里ならぬ、隠れ駅のようだった。駅前の道を進んでも田んぼの中にしか行けない。
続いて「阿蘇下田城」駅。旧国鉄高森線の開業時からあり、当初の名称は「阿蘇下田」だった。三セク化後の1993年、平成大合併で南阿蘇村になる前の旧長陽村が駅舎を一部2階建ての城の形にした。400mほど離れた場所に戦国時代の武将・下田氏の居城があったとされるからだ。駅舎の中には温泉を設け、駅名も「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」に変えた。「近所の人が結構入りに来ていたんですよ」と聞いたが、熊本地震で瓦が落ちるなどして痛々しい姿をさらし、温泉営業もこれを機に止めた。