全線運行再開後は「ふれあい温泉」の部分を消して、駅名を「阿蘇下田城」にした。ころころと名前が変わる珍しい駅である。
駅のすぐ横には「縁結びの石」が置かれていた。岩に貫通した穴に、男女が両側から手を入れて固く結び合えたら、必ず結ばれるのだという。
駅が古本屋になっている深い理由
さらに進むと「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅だ。「立野」からこの駅までが、熊本地震で不通になった区間だった。
駅としての歴史は三セク化後の1992年からだ。ログハウス風の木造建築で、青い十二角形の屋根の頂上に時計台が立っている。当初は日本一長い駅名だったので、全国的に有名になった。
駅舎に入ると、声を掛けられた。「ここは古本屋になっていま~す」。
「OctopusBooks(オクトパスブックス)ひなた文庫」を経営している中尾恵美さん(33)だった。
もう驚きもしなかった。95年前に建築された古めかしい木造駅舎でロックが演奏されていたり(長陽駅)、城になった駅で以前は温泉にも入れたり(阿蘇下田城駅)、結びつきそうにないものが融合している南阿蘇鉄道である。
だが、駅が古本屋? 少し頭が混乱した。話を聞くと、深い理由があると分かった。
中尾さんは岡山県の生まれだ。広島の大学に進学して、夫と出会った。
大学を出た後は、東京で出版社に勤めるなどした。が、親が体調を崩して帰郷せざるを得なくなる。夫は広島で大学院に進学していた。このため、その後は広島へ移る。ところが、夫は思いも寄らぬ進路を選んだ。熊本県南阿蘇村の実家に戻り、両親のたこ焼き屋を手伝うというのだ。これが、中尾さんが南阿蘇村の住民になった経緯である。2014年のことだった。
本が好き。最初は「たこ焼きができるまでの時間に読書でもどうぞ」と、駐車場に本が読める休憩スペースを設けた。
「やっぱり場所が欲しいな。たこ焼き屋だけでは、自分も煮詰まってしまう」。次第に思いが募る。
場所を探していた時に出会ったのが、「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅だった。
賃料ゼロが決め手に
南阿蘇鉄道の駅舎は、終点の高森駅以外は南阿蘇村にあり、全て無人だ。駅舎は村役場が所有していて、加勢駅のように小さくて他に使いようがない駅以外は「駅舎管理者(世話人)」を募集してきた。村民に店舗を開いてもらい、駅そのものを目的に来てくれる人を増やそうという発想だっだ。世話人には観光案内など村のPRのほか、トイレ掃除などもしてもらう。旧国鉄時代なら考えられない戦略だ。
対象は5駅で、そのうち4駅にはカフェなど飲食を中心にした店が入った。唯一残っていたのが「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅だった。
「他の駅は国鉄時代に設置されるなどしたため、水道が引かれています。だから飲食営業ができたのです。ここにはそれがなくて希望者がおらず、待合室には大きな木の机が一つあっただけで、ガランとしていました」
中尾さんは「私設の図書館を開いてもいいかな」と思ったが、貸し出した本の管理に手間がかかりそうで、古本屋にした。