前回に引き続き、東映京都出身のベテラン・関本郁夫監督について述べていきたい。
関本作品の大きな特徴は、重苦しい読後感だ。実質的なデビュー作となった前回の『女番長(スケバン) 玉突き遊び』もそうだが、関本の撮った映画は、東映の同ジャンル作品に比べ、暗くて苦い印象を与える。そのため、表向きはエロティックな内容が売りであっても、観終えて艶話に触れた感覚はない。重厚な文学作品のように、ズシリと心に圧し掛かる。
今回取り上げる『大奥浮世風呂』は、そうしたドラマを得意とする田中陽造が脚本を書いたのもあいまって、重苦しさの最たるものとなった。
「不能となった将軍・家綱(菅貫太郎)のために、大奥に現在のソープランドのような施設が造られ、将軍と腰元たちが夜ごと遊興にふける」「女装して江戸城に潜入したヒゲ面の男(志賀勝)が大奥でやりたい放題」――これが、本作の核といえる設定だ。そう聞くと、さぞや豪快な艶話が展開されるに違いない――と思うだろう。
たしかにそうした場面はある。が、事前の予想からは遠い展開が待ち受けているのだ。
それは、志賀の演じる主人公・柳全のキャラクターによるところが大きい。柳全は被差別部落から将軍所縁の寺院の坊主になり、さらに大奥に潜入。ついには、自身の子を身籠った情婦・おこよ(松田英子)が将軍のお手付きとなったことで、世継ぎの父親に。
いかにもピカレスクな物語となりそうな展開だが、本作はそうはならない。柳全が純情で生真面目なのだ。
初主演作なだけに、志賀は大暴れしたかった。対して関本は、抑制した演技を求めたという。関本の自伝本『映画監督放浪記』(小学館スクウェア)には、そう記されている。
この演出が功を奏した。志賀の抑えた演技により、柳全の純情さが際立ったのだ。
特に印象的なのは大奥に潜入した際に惚れ込んだ将軍側室の初瀬(ひろみ麻耶)が流産し、精神を病んで江戸城を追放された時のリアクションだ。柳全は彼女を寺にかくまうのだが、この時、決して指一本触れようとはしない。それどころか、少し微笑みを見せるだけで嬉しくなり、それで満足なのだ。この時に志賀の見せるほのかな笑顔が、普段の厳つい面相からは想像もつかないほど可愛らしい。
そんな純情に貫かれたからこそ、初瀬、おこよという、愛した女性たちに降りかかる悲劇に対してあまりに無力な柳全の姿が、終盤に切なく映し出されることになった。
柳全はせめてもの復讐に将軍の男根を切り落とす。だが、その表情はどこまでも空しいものがあった。