「お前さんも臆病だね。男のくせにさ」
篠田鑛造『明治百話』(1931年)にはその浅右衛門(朝右衛門と表記している)の回想がある。
(お伝を)呼び出すと落ち着いたものでした。その時、お伝の前に斬ったのが、罪は分からなかったが、安川巳之助という男。こいつがブルブルもので、首の座に座ると余計に震えだしたんです。お伝がこれを見て笑って「おまえさんも臆病だね。男のくせにさ。私をご覧よ。女じゃあないか」と励ましていました。
この浅右衛門は、お伝が暴れたことも語っていて「斬り損ねたので、いよいよ厄介でした」と振り返っている。一方、郵便報知は2月1日付で「処刑の折、『しばらく』と太刀取りを止め、『亡き夫(つま)のために待ち得し時なれば手向けに咲きし花とこそ知れ』と一首の辞世を口ずさみ……」と書いており、だいぶ雰囲気が違う。草双紙などにはそれぞれ別の辞世の歌が登場するが、どれも戯作者による代作のようだ。
郵便報知、東京絵入、東京曙などの新聞は判決・死刑執行の第一報から、お伝の経歴をさかのぼって連日、記事を掲載したが、内容はどれも、お伝の口供書の内容や未確認情報を混じえるなどした犯罪読み物。事実よりこの方が読者に受けるという判断だろう。
さらに早くも2月中に東京絵入の編集者だった仮名垣魯文の編述、守川周重画の合巻草双紙『高橋阿傳(お伝)夜叉譚(やしゃものがたり)』18編と、岡本勘造編、桜斎房種画『東京奇聞:其名も高橋毒婦の小傳』12編が出版され、特に『夜叉譚』は大ベストセラーに。さらに同年6月には、2代目河竹新七(のちの黙阿弥)が書いた『綴合於傳仮名書(とじ合わせお伝の仮名ぶみ)』が東京・新富座で上演されて大当たりし、粗筋が草双紙として出版された。舞台では名優・5代目尾上菊五郎がお伝を演じたが、実際に新七らと裁判所を見学。「今度の新狂言にその実を写し出すつもりだろう」と同年5月13日付郵便報知に報じられた。
「稀代の毒婦」として描かれたお伝
草双紙のストーリーはそれぞれ異なるが、いずれもお伝を「稀代の毒婦」に描き、波之助を絞め殺したとしたものも。早稲田大教授などを務めた本間久雄は「明治初期毒婦物の考察」(『明治文学名著全集第5巻』所収)で『夜叉譚』と『東京奇聞』のお伝像を比較。「多淫で、多情で、剛(強)欲で、非道な点は同じである」と断じている。そして、こうしたお伝像が広がり定着して「後世になると、事実が消え失せて、小説だけが事実であるかのように残る」(『高橋お伝―虚構に生きる女』)結果となった。