屋台の定番であり、カップ麺の一大ジャンル。はたまたお好み焼き店のメニューにもほぼ必ず載っていて――誰もがきっと一度は食べたことのある「ソース焼きそば」。実は様々な謎があるのだという。まず、その起源が定かでないのだ。
「いつ、どこで、どのように生まれたのか。通説では戦後に大阪で発祥したと言われていたのですが、私は違うと思っていたんです」
そう語るのは、今回『ソース焼きそばの謎』を上梓した塩崎省吾さんだ。本業のITエンジニアのかたわら、ブログ「焼きそば名店探訪録」を運営し、これまで全国1000軒以上の焼きそばを食べ歩いてきた。
「私が実際にお話を伺ってきた中で、『ウチでは戦前から焼きそばを提供している』というお店がある地域に集中していたんです。それが、東京は浅草でした」
本書はそんなソース焼きそばの起源から、全国へ伝播していく過程までを、膨大な史料や証言を元に明らかにする。塩崎さんが明治・大正・昭和の文献を次々と紐解きながら真相に迫るさまは、さながら“歴史探偵”のようだ。
「メディアでソース焼きそばの歴史などを訊かれるたび、通説でない持論を説明してきて、それが面倒だったというのもあって(笑)。根拠を交えてしっかりと書こう、そう思って調べ始めました。浅草とアタリをつけていたので、池波正太郎といった台東区出身の作家が幼年期のことを書いたエッセイを探したり、その時代の雑誌記事に一つ一つ目を通していったり……」
見つけた時に最も興奮したのは、大正3年の支那そば屋台の体験記だという。
「その時代に機械製麺が普及していたとは思われていなかったのですが、文中に製麺機の存在や、中華麺の安価な卸価格まで書かれていたんです。ソース焼きそばの成立には、中華麺を安定的に仕入れることのできる環境が必要で、大正3年の時点でそれが実現していた証拠というわけです」
執筆のきっかけになったものは他にもあった。塩崎さん自身も交流のある近代食文化研究会の書籍『お好み焼きの物語』だ。
「戦前のお好み焼きの歴史を明らかにした1冊で、お店の方の証言を、当時の史料に当たって裏付けを取るというアプローチで書かれていました。私もこれをやってみよう、と。それにお好み焼きの歴史も、ソース焼きそばの歴史と無関係ではないんです。1つの結論を先取りして言ってしまうと、ソース焼きそばは元々お好み焼きの一種として生まれたんです」
どういうことか。それはぜひ本書で確かめてほしいが、読み進めるうちにソース焼きそばの起源には、明治時代の国家間の貿易戦略や、国内の鉄道事情など、近代史が密に絡み合っていることまでわかってくる。
そんな塩崎さんだが、普段の食べ歩きの際の目の付けどころから独特だ。
「そのお店が町の中でどんな場所にあって、どんな客層で、どんな営業スタイルだとか。あと、営業許可証の日付がいつだとか(笑)。そういったことがまず気になるんです。そのお店、その料理の文脈みたいなところに惹かれているのかもしれませんね」
ちなみに、大学時代は史学科に通っていたという。
「結局は中退してしまうのですが、東洋史を専攻していました。それに、今でこそ20年以上IT業界で働いていますが、若い頃は出版社で働いていたこともあって。歴史が好きなのは確かですし、こうやってまた本の世界にも戻ってきて、なんだか懐かしい感じがしています」
しおざきしょうご/1970年生まれ。静岡県出身。ブログ「焼きそば名店探訪録」管理人。国内外1000軒以上の焼きそばを食べ歩く。テレビ、ラジオなどメディア出演多数。本業はITエンジニア。