樺太に生きるアイヌを描いた『熱源』をはじめ、国や文化の境界で生きる人々を描いてきた川越宗一さん。最新作『パシヨン』で取り上げたのは、キリスト教禁制下で“最後の日本人司祭”となった小西マンショ(彦七)だ。
彦七はキリシタン大名・小西行長の孫として生まれるが、関ヶ原の戦いで行長が処刑されると母とともに追放された。また小西家旧臣のキリスト教信徒たちも、法華宗に改めるか放逐かを迫られる。
序章の殉教の場面が印象的だ。磔にされたキリスト教信徒たちを見た仏僧は、自分の寺をキリシタンに壊されたことがあり、磔刑も仏罰だと言って憚らない。だが、想像を絶する苦痛の中で使徒信条(クレド)を唱える信徒の姿に「聞いてやらぬか」と叫び、手を合わせて読経する――。当初、信仰を描く難しさを感じていたという川越さんは、この場面を書いてまず手応えを得たという。
「徳川幕府が開かれ天下が一つになっていく過程でキリシタンが迫害されていくのですが、少数派が弾かれていく経緯は現代にも通じます。それに気づいた時、この題材で、今につながる書き方が出来ると思いました」
迫害が激しさを増す中、彦七に小西家再興の重責がのしかかるが、彦七は自ら司祭となって彼らの信仰を支えるため海を渡る決心をする。そんな彼を描くうえで主題となっているのが「自由」だ。
「当時の宣教師が日本語で書いた『どちりなきりしたん』というカトリックの教理本の中に、『自由』という単語が出てきます。神が悪魔から人間を自由にしてくれたと説かれていて、自由だからこそ人間は悪魔の誘惑にもなびいてしまう、ということかと受け取りました。強制がない状態で自分のことを決定するのが自由だと思いますが、人間ってそれほど自立できるものなのか、雰囲気に流されたりその場の感情で動いてしまうものではないのかと、執筆中ずっと考えていました」
彦七を取り巻く人々の中には自分たちを守るために挙兵しようと扇動する者もいる。だが彦七は、「死ぬな。生きるんだ」と説き、司祭となってローマから帰国してからも、激しい弾圧の中で信徒たちを支え続ける。島原の乱では、籠城し飢餓と総攻めに怯える信徒たちに、教えを棄てて生き延びよと叫ぶ。
「小西マンショについてはローマのイエズス会の名簿やベトナムの司教の日記に名前が残っている、と研究でわかっているくらいで、まとまった史料がないんです。そのぶん、創作しがいのある人物でした」
本書のもう一人の主人公とも言えるのが、幕府の宗門改役としてキリシタンを取り締まる井上政重だ。徳川の天下を盤石なものにし万民を守るためと自分に言い聞かせながら、苛烈な取り締まりを行っている。
やがて捕らえられた彦七は、井上の尋問を受ける。凄絶な拷問を受けながら、井上の中にある罪の意識を見抜く彦七。終盤の二人のやりとりは圧巻で、胸を打つ。
「最初はキリスト教とは何かを捉えようとしながら書いていたのですが、僕自身は信仰心を持っていないので、なかなか想像が及ばないところがありました。それで途中から、理解しようとするのをやめたんです。理解できない相手と一緒に暮らせないとしたら、対立しかない。でもそうではなく、分からないことを認め合ったうえで一緒に社会を営んでいくのが自由な社会だと思いますし、それは現代にも言えることだと思っています」
かわごえそういち/1978年鹿児島県生まれ、大阪府出身。2018年『天地に燦たり』で松本清張賞を受賞しデビュー。19年刊行の『熱源』で本屋が選ぶ時代小説大賞、直木賞を受賞。その他の著書に『海神の子』『見果てぬ王道』。