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「母親としての自分」をポジティブにイメージできた瞬間

 バーも気になるところだが、何よりも母親が自由に自分の時間を楽しんでいることに衝撃を受けた。

 私は亮さんが生まれたとき、自分の人生は終わったのだと思っていた。

 それは、「脳性麻痺です」と言われたからではない。ただ出産をして母親になった。「母親になってしまった」というショックのほうが実は大きかった。

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 家を出るために、自分で妊娠したいと望んだのに、今さら何を無責任なことを、と自分でも呆れた。ただ実際に、亮さんが生まれて家に連れ帰ったとき、戸惑いや、ある種虚無感に近い感覚があった。

「私は人生で一度も自分にスポットライトが当たらないまま、また誰かのために人生をささげて、生きて、そして死んでいくんだな」

 真剣にそう思っていたし、母親になるとはそういうことなのだと思っていたので、先輩ママたち(しかも障害がある子どもたちのママ!)が、自分の人生も大事にしている姿にただただ衝撃を受けた。

 母親になっても、自分を楽しませていい!

 自分の時間を作ってもいい!

 自分を大事にしていい!

 はじめて「母親としての自分」をポジティブにイメージできた瞬間だった。

「この子、殺してまうかもしれません」

 しかしその一方で、残念なことにドラマティックではない日常生活も続いていた。

 療育園に通い出しても、亮さんの夜泣きは止まらなかった。

 人間、寝不足が蓄積すると、体の疲労だけでなく、だんだんと心もむしばまれていく。夫の頭を灰皿でかち割りたくなるどころのレベルではなくなっていた。

 このころの私はまだ2歳にもならない亮さんに対して、

「うるさーい!!」

 と叫んだり、亮さんの顔に枕を押し付けては、我に返って

「ごめんね、ごめんね」

 と泣きながら謝ったり、とにかく普通の精神状態ではなかった時期だった。

写真はイメージ ©iStock.com

 こんな毎日が1年続いたころ、私はついに区役所に駆け込んだ。

「私、これ以上この子と2人で1緒にいたら、この子、殺してまうかもしれません」

 そう、きっとだいぶやばい顔で窓口の人に伝えたと思う。

 だがこのときの私の判断は、亮さんの命と心を守るうえで、かなりナイスな判断だったと今でも思う。毎日のように流れているどこかで起きた悲しい親子のニュースは、決して他人事だとは思えない。私もいつニュースに出ていてもおかしくなかった。