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「ジュウゴエンゴジッセンと言ってみろ!」
香川県が生んだプロレタリア詩人坪井繫治(つぼいしげじ)は、兵士が剣付き鉄砲を突きつけ、「ジュウゴエンゴジッセンと言ってみろ!」と鋭くせまる現場に居合わせ、自らも朝鮮人に間違えられそうになった体験を記している。次の詩は彼がのちに綴った「十五円五十銭」という長い詩の一部である。
国を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数をかぞえることはできぬ
あのときから早や二十四年たった
そしてそれらの骨は
たとえ土となっても
もう土となってしまったであろうが
なお消えぬ恨みに疼いているかも知れぬ
君たちを偲んで
ここに集まる僕らの胸の疼きと共に
君たちを殺したのは野次馬だというのか?
野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、
日本刀をふるわせたのは誰であったか?
僕はそれを知っている
「ザブトン」という日本語を
「サフトン」としか発音できなかったがために
勅語を読まされて
それを読めなかったがために
ただそれだけのために
無惨に殺ろされた朝鮮の仲間たちよ
君たち自身の口で
君たち自身が生身にうけた残虐を語れぬならば
君たちに代って語る者に語らせよう
いまこそ
押しつけられた日本語の代りに
奪いかえした
親譲りの
純粋の朝鮮語で
(『壺井繁治詩集』青木文庫より)
ちなみに壺井繁治も、福田村事件の被害者の行商人たちも、同じ香川県の出身だった。
また、舞台俳優の千田是也(せんだこれや)の芸名の由来は、2日の夜千駄ヶ谷で朝鮮人(コリヤ)に間違えられたことからだというのも有名な話である。