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 ハンカチを取ってお艶の首に巻いて絞めるまねをしたのです。するとお艶は、苦しんで抵抗するといけないから、手を縛ってくれと言うので、当時私が着ていた羽織に付いていた長さ2尺5寸(約75センチ)ぐらいのひも2本を外して、それをお艶の両手を羽織の下に後手に結び、いいかと言うと、早く死なせてくれと言うから、再び覚悟はいいかと言うと、お艶は黙っていました。私はその時、直感的に殺す気になって、お艶の体を左側にして一絞めすると、お艶は黙って私の体に寄り添ってしりもちをつきました。

 その後、乙松は両手で絞め、お艶の体を隠そうとして引きずると、お艶は「苦しい」と言って目をパチパチさせたので、持っていた短刀で首の動脈を切断した。

 乙松は「殺したのは合意のうえ」と主張した。一方的な言い分だが、全てがでたらめとも思えない。『史談裁判』は乙松を「幼少から不幸な境遇に陥り、諸方を漂浪して悪人にさせられてしまったとすると、彼もまた哀れな人の子であったのかもしれない」と同情を示している。それ以上にお艶はどうだったか。

「お艶は可哀想な女」と書いた新聞もあった(國民新聞)

どうしようもない男に殺された女の物語がもたらすもの

 実の親に“捨てられ”、養家でも決して恵まれず、結婚してみれば、夫はまっとうな男ではなかった。そして、一度は愛したはずの男もまた犯罪の常習者。どこにも心の落ち着く場所はない。希望も頼れる者もなく、死んでもいいと考えたとしても不思議はない。たぶん生まれてからずっと幸せに出会えなかった女はこうして死んだ。どうしようもない男に殺された薄幸の女の物語の中には、文豪の小説とは別に、いまの人間にも届くものがあるのではないだろうか。

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【参考文献】
▽谷崎潤一郎『お艶殺し』(千章館、1915年)
▽『警視庁史第1(明治編)』(1959年、‎警視庁史編さん委員会)
▽依田信太郎編『東京商工会議所八十五年史上巻』(1966年、東京商工会議所)
▽『岩崎弥之助伝 下』(1979年、東京大学出版会)
▽三遊亭圓生『江戸散歩 下』(集英社、1978年)
▽石渡安躬『斷獄實録』(松華堂書店、1933年)
▽森長英三郎『史談裁判』(日本評論社、1966年)
▽柳永二郎『繪番附 新派劇談』(青蛙房、1966年)
▽橋本芳一郎『谷崎潤一郎の文学』(桜楓社、1965年)
▽『明治大正文学全集第35巻』(春陽堂、1928年)
▽小沢信男『犯罪紳士録』(筑摩書房、1980年)