二刀流、といえば真っ先にMLBの大谷翔平選手の名が浮かぶが、将棋界にも二刀流がいる。「プロ棋士」であると同時に「プロ雀士」でもある鈴木大介九段と井出隼平五段だ。本稿では井出五段から、二刀流を目指した経緯について聞いてみた。

幼稚園の年長で父から将棋を教わり、中学1年で奨励会へ

――まず、井出さんがプロ棋士を目指したきっかけを教えてください。

井出 将棋は父から幼稚園の年長の頃に教わりました。父もそれほど強くはなく、アマ初段もなかったと思います。小学1年生の時に将棋会館の子供スクールに通い上達してから、小学3年の頃に新井敏男さんが席主を務める将棋サロン吉祥寺(現・将棋サロン荻窪)に顔を出すようになりました。それから強くなって関東研修会に入り、新井さんから師匠(田丸昇九段)を紹介されて、中学1年の2003年に奨励会入りしました。

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プロ棋士とプロ雀士の二刀流、井出隼平五段

――奨励会へ入ったころにライバル視していた方はいますか。

井出 研修会では同時期に黒沢君(怜生六段)がいて、棋力も近かったと思います。あと、奨励会に入った年の小学生名人戦で優勝した杉本君(和陽五段)のことは、今よりずっとライバル視していましたね。この年の小学生名人戦には澤田君(真吾七段)も参加していて、負かされました。私の四間飛車に対して天守閣美濃という戦型だったように記憶しています。

 奨励会に入ってからは杉本君が出世頭で、彼を追っていました。少し上の先輩についてはあまり意識していませんでしたね。奨励会の1年後輩に永瀬君(拓矢九段)や佐々木君(勇気八段)がいて、そちらの方をより意識していました。この世代だと、石井君(健太郎六段)の昇段ペースが私と同じくらいでした。

高校3年の頃「チャンスはいくらでもあると思っていました」

――師匠のブログによると、奨励会時代の井出さんはあまり研究会に参加されていなかったそうですが、こだわりのようなものはあったのでしょうか。

井出 こだわりというのではなく、高校生くらいまでは対人のコミュニケーション能力が低くて、研究会に誘う、誘われるという流れが苦手でした。将棋サロン吉祥寺で都代表クラスのアマ強豪の方々によく教わっていました。あと新井さんと豊川先生(孝弘七段)が親しかったこともあり、豊川先生にも指していただきました。20歳を超えてからは普通にやってます。

――井出さんが三段リーグに初めて参加したのが2009年、18歳の時でした。

井出 1期目に10勝8敗と勝ち越して、ちょっとナメていた部分はあったと思います。当時はまだ高校3年と若かったので、チャンスはいくらでもあると思っていました。それに当時は統計的に三段へ上がれば半分はプロになれると聞いたことがあります。

――確かに、過去の三段リーグのリーグ表を見ると、どの時代でもおよそ半分ほどの三段が後に四段へ昇段していますね。

井出 当時はリーグの参加人数が30人ほどだったので、やっていればそのうち……くらいの感覚でしたね。現在のリーグは45人なので、まったくそんなことはないのですが。21歳の時に一度チャンスがあったのですが、11勝4敗から3連敗して昇段を逃し、その頃から「大変かも」と思うようになりました。