年齢制限がちらつき始める24歳で四段に昇格
――三段リーグは若い三段の方がより評価される見方があると思いますが、戦っている当事者にはそのような面はあったのでしょうか。
井出 間違いなくその空気はあったと思います。私が後輩からナメられていたかはそこまで感じませんでしたけど、年齢制限ギリギリでかつ勝率が5割あるかないような人に対しては、潜在的にそういう意識はあったと思います。
――井出さんが四段昇段を決めたのは2016年で、年齢制限がちらつき始める24歳の頃でした。なぜ三段リーグを突破できたと思いますか。
井出 リーグ成績を見ていただければわかりますが、ツイていたからです。リーグ最終日も私服で三段リーグへ行ったくらいなので、昇段はまったく意識していませんでした(※四段昇段者は記者会見があるので、その可能性がある場合にはスーツで出席することが多い)。
私と同じく将棋サロン荻窪に通っていた渡辺君(和史六段)が自力だったので、彼の昇段をどう祝うかと考えていたような……。あとは対局前日に映画の予約を一生懸命取っていた記憶があります。当時人気だったガルパン(ガールズ&パンツァー)のチケットが取れなくて、必死でした(笑)。
――(笑)。とはいえ、さすがにツキだけでは四段昇段はできないでしょう。
井出 まあそうですね。三段の最後の1年は人生の中でもっとも勉強していた時期でした。その時に勉強法を確立できたのも大きいと思います。
Aperyを使って勉強したことが大きかった
――その勉強法とは?
井出 2015年の電王戦FINALを経て公開されたAperyの存在が大きいです。当時は今ほどみんながソフトを使うということもなかったので、私は同世代の中では導入が早いほうだったかと。Aperyを使って勉強したことが、うまくいきましたね。あと、行方先生(尚史九段)に教わったのも大きいでしょう。
四段へ上がったリーグは、先手番ですべて居飛車を指していました。私は昔から四間飛車党ですが、四間飛車オンリーだとどうしても狙い撃ちされますし、またソフトが居飛車良しという傾向が今よりも大きかったのもあります。
――井出さんは四段昇段を果たしたその年に、加古川青流戦で早くも棋戦優勝を果たしました。
井出 優勝したことで何がどう変わるということもないですが、加古川青流戦は決勝三番勝負を鶴林寺で指したので、お寺で将棋を指すのはなかなかない貴重な経験でありがたかったですね。
――その頃にプロデビューしたのが藤井聡太竜王・名人です。藤井さんの噂のようなものは聞いていましたか。