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 駅そのものは国鉄時代を感じさせるシンプルな構造の駅舎だが、駅前広場は圧巻だ。バスのりばやタクシープールがあり、中央にはパークアンドライドのための駐車場。このあたりは遠方からマイカーで駅まで乗り付けてくる人の多い地方都市らしい特徴といっていい。

駅を出て誰もすぐ目にするのが…

 そして、駅を出て誰もが目に付くところにあるのが、世界遺産登録を祝する(というか自慢する)立て看板だ。「明治日本の産業革命遺産」という。その構成資産はあちこちに点在しているが、ひとつが三池炭鉱関連資産として、大牟田一帯に広がっているのだ。

 

 つまり、大牟田の町は、明治以来の日本の近代化を支えた三池炭鉱のいわば“城下町”だったというわけだ。

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「大牟田」のいたるところにある“炭鉱の気配”

 駅前を通っている国道208号は幅の広い6車線道路でクルマ通りも多く、周囲はザ・市街地。飲食店から雑居ビル、学習塾など駅前に必要な物がひと揃いまとまっている。

 平日の昼間でも賑やかな雰囲気を持つこの大牟田駅前は、かつての炭鉱の町、そしていまは炭鉱遺産を核とした観光の町という性質を持ち、それを背景にした賑やかさなのだろうか。

 

 国道沿い、駅のすぐ近くにはいかにも古めかしく厳めしい大牟田市役所が鎮座する。なんでも、1936年に完成した国の登録有形文化財なのだとか。地方都市の市役所にしては立派すぎると思ったが、まさに昭和の初めなどは炭鉱景気で町全体が潤っていたご時世。立派な市役所が建てられたというのも納得できる。

 炭鉱遺産、というべきものは、町のあちこちにある。たとえば、駅前から東に向かって歩いて行くと、遠くに高い煙突が見えてくる。三池炭鉱は1997年に閉山されてしまい、噴煙を上げている煙突は炭鉱ではなく三井化学の工場のもの。ただ、この工場そのものが昔は炭鉱だった。

 

 工場のすぐ近くには宮浦石炭記念公園という公園があって、そこには炭鉱時代に使われていた煙突が残されている。宮浦坑といい、1888年に操業を開始、三池炭鉱の主力坑口だったという。

 

 公園内にはほかにも炭鉱で使われていた車両などが展示されていた。周辺はいまも工業地帯で、どことなく殺伐とした雰囲気が漂っているが、こうして市街地の中にも炭鉱の面影がていねいに残されているのだ