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 この年金通り、本来の正式名称は「有明町商店街」という。駅のすぐ近くで国道沿い、さらに炭鉱もそれほど離れていないという立地が好まれたのだろうか。1960~80年代くらいまでは、たいそうな賑わいを見せる繁華街だった。年金通りと呼ばれ出したのは1990年前後から。炭鉱が次々に閉山し、人口の流出によって高齢化が進む中で、年金暮らしのお年寄りが集まって飲む町になっていった、ということだろう。

年金通りから線路を渡って駅の西側に出ると、そこにはアーケードの商店街が

 いまの大牟田市の人口は、約10万6000人。福岡県では第6位に入る。ただ、炭鉱が全盛期だった1959年には20万人を超えていた。エネルギー革命やら何やらで炭鉱は下火になっていき、駅の近くの宮浦坑も1968年に閉山。炭鉱の町としての衰退はとめようもなく、駅周辺に広がっていた繁華街も様相を変えてゆく。

 年金通りから線路を渡って駅の西側に出ると、そこにはアーケードの商店街があった。大きなアーケードで、何かイベントでもあるのか小旗がはためいている。

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 しかし、すぐにアーケードは途切れて角には広い空き地が待っていた。1937年に開店した百貨店・松屋の跡だ。2002年に民事再生法の適用を申請したが再建には至らず、2004年に破産、閉店している。アーケード商店街のさらに西側には飲食街もあり、歓楽街としての機能を持っているエリア、ということだろう。