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家族の在り方は、自分たちで作り上げたい

「今、すぐ近くには住んでいるんですけど、それぞれの二つの家庭のリズムは別々で動いているんですね。なので、もうちょっとそれを、近づけたい。彼女は五人一緒に住みたいって言うんですけど、私は想像がつかないので、例えば同じマンションの隣同士とか、二世帯住宅とか、もう一歩近づけたい。生活を共有したいっていうのがあって。

 それから私は、もし妊娠出産育児をしていくなら、もうちょっと大人の手が欲しいなというのがありまして。家族っていうとどうしても血縁関係が強調されると思うんですけど、『チーム家族』とか『チーム育児』みたいな気持ちです。それらをつなぐのは、夫婦のような性愛関係でなくても全然いいというか」

写真はイメージ ©️AFLO

 MITSUさんは、ひとまず婚姻制度は利用しているものの、現在の制度に納得していない。現在の婚姻制度は、モノガマスであることを前提としている点も、不満の一つだ。

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「モノガミーが唯一絶対の教義で、それ以外は魔女狩りというか、背信者のようにやられる。モノ神(ガミ)様、って呼んでるんですけど。不倫報道とかも、『教義に背いたお前は背信者だ』というような、断罪的な扱い。ちょっとそれは、って思います。

 当事者が相手を非難することは、感情的にはあると思うんですけど。他人が社会的制裁をする権利があるのかな、とは思います。子供がかわいそうだろう、とかも、子供がどう思ってるかなんて正直わからないのを、勝手に代弁するのもなんかなあと思います。

 それこそポリアモリーの人はよく、『子供がかわいそう』って言われます。Kisaraさんにも子供がいるんですけど、『全然かわいそうじゃないわ!』と思ってますね。私が預かったりすることもあったりして、言ったらその子のためじゃないですか。懐いてくれてますしね」

 家族の在り方は、自分たちで作り上げる。そんな姿勢に、芯の強さがうかがえる。

 MITSUさんは、「ポリーラウンジ」や「ポリ読書会」などといった場で、他の当事者たちとも言葉を交わす機会を増やしていった。また、パートナーであるKisaraさんらと共に、「ポリバケツ」というバーイベントも行なったことがある。ポリーやポリーフレンドリーな人だったら自由に参加できるという、ゆるいイベントだ。

 少しだけ、コミュニティを広げる。それもまた、楽しい経験だった。いろんな価値観を持つポリーに会うことで、自分の考えもさらに整理されたように感じている。

「私は自覚的に、元から素質はあったとしても、バイセクシュアルとポリアモリーとを後天的に選択したことに誇りのようなものを感じています。生き方、愛し方、性的主体性を取り戻す探求の中で、手に入れた大事な道具という感じ。後天的に選択したのなら、ただのわがままではないかと言われるかもしれません。それに対して、違うと言い切るのにも、躊躇する部分はあります。

 わがままだったとしても、それで何が悪いのかと。単なるわがままとして片付けられてきた差別がどれほどあるか。ちょっとずつ、わがままを許し合えればいいのに、と思います。

 自分のわがままを押し通すには勇気が要りますよね。他人のわがままを批判するのはそれよりも楽です。でも、リスクを伴い、勇気を出して実体験として得たアイデンティティだから、私は『後天的ポリアモリー』でも、批判される謂れはないと感じているのかもしれません」