“旦那さん”に怒られ「むっちゃいっぱい考えて」
そんなKisaraさんが結婚したのは、24歳の時。大学の研究会仲間と、「みながすなる結婚というものを、自分もしてみんとてするなり」と思い、「実験的な気持ち」で結婚したという。夫はモノガマスな人ではあったが、独占欲とか嫉妬を「かっこ悪い」と思っているという。
結婚するにあたり、Kisaraさんは、関係があった人たちに別れを告げた。そして、セックスをする関係だったことも「旦那さん」に正直に告げると、怒られたという。自分なりに、モノ規範に合わせようとしたが、なかなかうまくいかない。そのことに葛藤を抱くようにもなった。
「自分が人格障害なんだろうかとか、発達障害なんだろうかとか、愛着に問題があるのかなとか、むっちゃいっぱい考えて。疲れてたんですよね。マジョリティらしく5年ぐらい頑張ったんですけど、なんかもう駄目だ、死ぬ、みたいになってきて。イライラしてくるし、なんとなく旦那さんのことも嫌になってくるし。私が私らしくないということで、誰も得してない、と思ったんですね。だから、我慢することを辞めようと思ったんです」
その頃から、会ってみたい人に会ってみたり、思ってることをmixi日記に書いたりと、自由に行動するように心がけていった。そんな時、「既婚バイセクシュアル」の人々が集まるオフ会に参加し、参加者に自分の恋愛観を伝えると、一人の人が「これに近くない?」と、デボラ・アナポールの『ポリアモリー恋愛革命』を貸してくれたという。
「すごく嬉しかったですよね。もうすでに複数恋愛をこんなふうにやっている人がいるんだ、似たことを考えてる人がいたんだ、みたいな。特にそれが、公の形であったっていうことはすごく嬉しかったですね。パブリッシュ(出版)してくれているという。何か用語があるとか、遠い世界でそういう人がいるとかじゃなくて、本に出るくらいの概念なのかと安心しましたね。ちょっと権威主義的なのかもしれないけど」
読書体験を通じて、Kisaraさんは思考の整理が進み、自分のことをすごく肯定的に見ることができるようになったという。また、モノ規範についての理解も進み、モノガマスな人々の「仕組」も分かるようになっていった。
出産を機に「もっとオフィシャルに」
35歳の時、「もっとオフィシャルなポリアモリーになりたい」と感じた。出産をしたことも、理由の一つだった。
「子育てにも手がかかるし。隠してごまかして行動する、時間を作るというのは、もう無理だと思ったんです。最初旦那さんは、『黙ってやっていればいいのでは? どうして墓場まで黙って持って行ってくれなかったんだ』って、怒ってました。その上で、『大切に思ってる女の子はいるんだけど』ということを言ったら、『女の子だったらわからんでもない。けど、他の男とセックスするのは絶対いや。想像もしたくない』と。あ、なるほど女の子だったらいいんだ、と」
その相手が、MITSUさんだった。だったら大丈夫なのではないか、とKisaraさんは前向きに考えた。