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ピークには年間5700万人以上が利用した渡し舟。現在は…

 誰も乗っていない木津川の渡し舟で対岸に渡り、これまた歩いている人などひとりもいない工場の真ん中をとぼとぼ歩く。もちろんコンビニなどもないし、雨風をしのげるような場所もない。

 10分も歩いたところで船町渡船場だ。木津川運河、港湾部の人工島から人工島へと渡してくれる渡し舟で、日中は20分間隔。渡った先は、工業地帯から鶴町の住宅地へと入ってゆく。市営住宅が建ち並ぶ団地エリアもあれば、戸建て住宅が多いゾーンもあって、それを取り囲むように運河沿いは工場群。これが大阪港湾部ならではの風景なのだ。

船町渡船場

 大阪の渡船はだいたい西側、港湾部に集中している。というのも、中心市街地は八百八橋の通りにたくさん橋が架かっていたからだ。そのため、昔から渡船は多くなかった。

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 ところが、明治に入って工業都市化が進み、さらに沿岸部に市域が拡大していくなかで、港湾部には渡し舟が欠かせない存在になってくる。海外からの大型船がやってくるから、容易に橋を架けることができなかったのだ。

 こうした背景もあって、大阪府は1891年に渡船営業規則を制定。それまでの渡し舟のほとんどは民営だったところ、1903年から順次大阪市営に改められている。この時点で、大阪市営の渡船場は29か所もあったという。

 当初は料金を徴収していたものの、1919年に道路法が制定されて渡船も道路の一部と規定されると無料化。つまり、大阪の渡し舟がタダなのは、道路の交通は原則無料、というルールのおかげなのだ。

 大阪の渡し舟のピークは1930年代で、年間5700万人を超えていた。しかし、徐々に減少していまでは150万人程度にまで減っている。渡船を使えば確かに便利だが、地下鉄や路線バスの整備も進んでいるし、クルマを使えば大きな橋でも楽に渡ることができる。だから、渡船の利用者が減ってゆくのも時代の流れといっていい。