大阪は、やたらたくさんの“二つ名”を持っている町だ。有名どころでは、「天下の台所」というものがある。江戸時代、大坂には堂島米市場が置かれて米の価格が決まる町だった。そうしたこともあって、「天下の台所」と呼ばれるようになったのだ。
次いで明治に入ると日本の近代化・産業革命を支える工業都市へと変貌し、「東洋のマンチェスター」などと呼ばれた。工場が次々に建ち並ぶとその工場から煙が立ちのぼり、それを捉えて呼んだのが「煙の都」。
決して良いことばかりではなく、大気汚染は大正時代にはすでに大阪の人々を悩ませていた。阪急電鉄の前身・箕面有馬電気軌道が郊外の宅地開発に成功したのは、汚れた空気から逃れて暮らしたい人たちのニーズを捉えたから、という側面も大いにあるという。
そしてもうひとつ、忘れてはいけないのが、「水の都」である。
ネオンとダイブでおなじみの道頓堀川、オフィス街の堂島川に港側にも…
「水の都」といったらイタリアのヴェネツィアで、それをもじって「東洋のベニス」と称される町は日本にもいくつかある。たとえば、大阪のお隣・堺だったり、福岡県は筑後地方の柳川だったり。
ただ、大阪も負けてはいない。大阪の水の都としての歴史は古い。何しろ、古代には難波宮が置かれていて、眼前には難波津という港があった。
さらに江戸時代になると町の中にたくさんの水路が掘削されて舟運を担った。「八百八橋」などと言われるほど、たくさんの橋が架かっていたという。天下の台所として活気に溢れ、町の中には水路が通って船が行き交い、そこに架かる橋の上には人また人。そんな近世の大坂の賑わいぶりが、言葉だけでも想像できるではないか。
そして、いまの大阪も、水の都である。グリコのネオンとタイガースファンのダイブでおなじみの道頓堀川、中之島を間に挟んで堂島川と土佐堀川。港湾部の工業地帯には、木津川や尻無川、安治川が流れる。だから、いまも大阪の町は、水の都なのだ。
“水の都”大阪の「運賃無料のナゾの船」には何がある?どこに行く?
そんな水の都に欠かせないのは、「八百八橋」の橋に加えて、渡し舟だ。渡し舟、つまり船を使って川を渡る。鉄道にクルマに、というご時世に船で川を渡るというとなんだか前時代的な気がしなくもないが、実はいまでも大阪には8か所に渡し舟がある。