――スエ子さんは「父親の写真は全部焼いた」とも話していたそうですが、写真が残っているのではないのかと家中を探し回ったりすることもなかったですか。
草刈 なかったですね。僕と同じような境遇の女性の方に聞いたことがあるんですけど、その女性の場合ですが、父親には会いたいものらしいですね。でも、僕は会いたい気持ちはあんまり湧かなかったです。
ただ、「会いたい」とはちょっと違うんですけれども、おふくろと生活してると、やっぱり厳しいことも時々あるんです。そういう場面で「親父が生きてたら、もうちょっといい生活ができたんじゃないか」と、ふと考えるときはありました。親父がいない寂しさよりも、そういったことを考えたり、感じていましたね。
おふくろと小倉に暮らしていたけど、もしもこれがアメリカに行っていたとしたら、「どういった生活が待っていたんだろう」って。そんなふうに、ちょっと上を見ちゃったりするんですよね。親父っていうのが生きていたら、一緒にアメリカに行っていたら、もう少し暮らしぶりも変わってたんじゃないかなと。
母は、決して父のことを悪く言うことはなかった
――スエ子さんは、「ロバート・トーラー」というお父様の名前や出会いについては教えてくれています。ふたりが一人通るのがやっとの細い橋で「どうぞ、どうぞ」と譲り合ったことが交際につながったという、とてもロマンティックな馴れ初めで。スエ子さんは、どういった瞬間にこうしたことを教えてくれたのでしょう。
草刈 穏やかなときでしょうかね。なんでもないときに、ふと話していたような気がします。それと親父のことは、よく褒めていましたよ。「本をたくさん読んでいる人だった」とか、ようするに勉強家だったみたいなことをね。
おそらく僕の教育のために、そうやって話していたんでしょうけどね。「父親みたいに、おまえも本を読みなさい。勉強しなさい」という。実際に、親父はそういう人だったのかもしれませんけどね。
叱るときなんかも、親父のことを引き合いに出すこともありました。僕がちょっとヤンチャをやると「お父さんは、そういう人じゃなかった」と言って。どんな人か知るよしもなかったけど、「そうなんだ」と自分と親父をダブらせてみたりして。
――ロバートさんを、決して悪く言うことのないお母様だったと。ルックスについても、ベタ褒めしていたそうですね。
草刈 「親父は、ああだったこうだった」なんて息子に悪く言ってもどうにもならないと、わかってたところもあったんじゃないですか。「あんたなんて問題にならないわ」「あんたよりハンサムだった」と、親父のことを褒めているのを聞くたびにホッとはしていました。
――子供心に、お母様が寂しそうだなとは。
草刈 「かわいそうだな」と思ったこともあったかな。ただ、おふくろは気丈というか、それはもうキツい人だったんでね(笑)。