――従兄弟のジェイさんも伯母のジャニタさんも、閑静な住宅地の立派な家に暮らしていましたね。人柄も温和な雰囲気が漂っていて。
草刈 僕も、そこはホッとしましたよね。「ヘイ、メ~ン!」なんて、そんな感じの家族が出てきちゃったらどうしようって(笑)。これは友達が冗談で言ってたんですけどね。
初めて知る父の半生、番組で涙が止まらなかった
――番組では、ロバートさんは1951年に極東空軍羽田基地へ配属され、スエ子さんと都内で同棲されていたと。そして草刈さんを身ごもり、ふたりでアメリカに行くつもりだったが叶わなかった。
草刈さんが生まれた翌年の1953年、スエ子さんはアメリカにいるはずのロバートさんに、幼い草刈さんの写真を添えて手紙を送りますが、ロバートさん本人は空軍から陸軍に編入して西ドイツにいた。本人不在のなか、ジャニタさん、お姉さん、お母さんがその手紙を読み、ほかの家族には明かすことなく2023年までに至ったと。
草刈 親父さんが手紙を受け取って読んでいたら、「アメリカへ来い」だとか「日本に迎えに行く」とか、そういうことがあったのかもしれないなとは、見ていて考えましたけどね。手紙がトーラー家のお姉さんとお母さんで止まっていたことに関しては、「そうだったのか」と納得しました。「なんで?」「どうして?」とは思いませんでした。
このことを告白した伯母のジャニタさんは、家族を混乱させたくないし、どうにもできなくて、日本にいた僕らのことをずっと黙っていたわけです。これはもうずっと昔のことで、その当時の心情を理解できたというよりは、あくまで事実として受け止めています。
――ロバートさんは、ヘルガさんという女性と結婚して除隊。ノースカロライナに戻って婦人服販売などをした後、2013年に83歳で亡くなっています。最後まで草刈さんとスエ子さんのことを打ち明けなかったと。
草刈 親父さんも混乱させたくなかったということですよね。ご家族を持たれていたわけだから、「いまさらそんな話をしたところで」とね。
――番組で、草刈さんは涙が止まらないようでしたが。
草刈 おふくろのことやふたりで暮らしていた頃を思い出しますから、どうしてもこみ上げてくるものはありました。アメリカでの取材も、知るよしもなかったことが次々とわかってね。淡々と見ていたつもりでしたけど、昔からモヤモヤしていたものがスッキリしましたし、おふくろと親父が愛し合っていたこと、トーラー家の方々が僕ら母子を気にかけてくれていたこともわかりましたしね。
でも、一番こみ上げたのはジャニタさんの手紙ですね。
――「どうか どうか 私たちに会いに来てください あなたのことを思って 涙を流す日々は もう終わり これからは笑顔だけです」と綴られていました。
草刈 とっても沁みましたし、あの手紙があったからこそアメリカへ会いに行く決心が付きましたから。
写真=鈴木七絵/文藝春秋