北九州市の成人式はド派手な衣装の新成人が多数集まる。そうした衣装は地元にある「貸衣装店みやび」の池田雅さんたちが手作りしている。一部の住民には問題視され、市に「不適切な服装」と陳情書を出されたこともある。それでも池田さんたちは衣装作りをやめなかった。なぜなのか。フリーライターの宮﨑まきこさんが取材した――。

筆者撮影 北九州のド派手成人式の仕掛け人、池田雅さん。 - 筆者撮影

「北九州の恥」と言われた貸衣装店主

成人式を2カ月後に控えた2023年11月9日、北九州市小倉北区「貸衣装店みやび」本店。店名が書かれた重い観音扉を開けると、衣装ケースの壁に視界が覆われた。

一つひとつの箱には、2カ月後に着物に袖を通す新成人の名前が書かれている。店内はショールームというより倉庫のようだ。足元から天井まで積まれた衣装ケースに窓からの日差しが遮断され、蛍光灯の明かりだけが局所的に店内を照らしている。数分おきに電話が鳴る慌ただしさの中、上下黒でシックにまとめた小柄な女性が現れた。

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斬新なアレンジを施したきらびやかな着物の新成人たちが毎年話題となる、北九州市の「ド派手成人式」。その仕掛け人が、「貸衣装店みやび」を営む池田雅さん(52)だ。現在では1回の成人式につき、1000人から1400人程度の衣装を手がけている。

約20年もの間、彼女がデザインする着物は「北九州の恥」とまで言われ、バッシングや揶揄の対象とされてきた。しかし、2024年の成人式からは、「北九州の文化」として称賛を浴び、受け継がれていくだろう。

そして彼女がこれから語るのは、50歳を過ぎるまで自分を貸衣装店の店主だと思っていた女性が、世界的着物デザイナーだったことに気づくまでのストーリーだ。

着物のプロの中で育った幼少期

池田雅さんは、1971年熊本で生まれた。両親や親戚はみな、貸衣装店や着付師、美容師という環境で育った。一人で着付けができるようになった日を覚えていないほど、衣装は身近な存在だった。

プロの着付けを見て育った彼女は、小学5年生になる頃には着付けからメイク、髪結いまで、「花嫁セット」は一通りできるようになっていた。