彼女たちは、後世の「二号」のような日かげものではなく依然として正妻に準ずる本妻としての権利をもっているのである。だから正妻たるものも「結婚しちゃえばもう安心」とばかりにデンと構えるわけにも行かないし、他の女たちも捨てられまいと腕によりをかける。そのためには女たちは今よりずっと「恋じょうず」である必要はあったらしい。
永久就職口を探す男、家を安定させたい女
捨てたり捨てられたり、なかなか気の休まらない生活だが、そのかわり、捨てられたからといって、明日の生活にも困るというわけではない。当時の女は家つきで家屋敷などは全部女の子が相続する。男の方はそこへポッとやって来て、食事はもちろん、着るもの一切の面倒をみてもらうのが実情だった。当時の男たちが、腕によりをかけて恋文を送ったりしたのは、よりよい永久就職口をみつけるための涙ぐましき努力でもあったのだ。
その限りでは、夫の方がむしろ扶養家族(?)なのだが、今の婿養子とちがうところは、彼の官職は舅(しゅうと)のお蔭を蒙(こうむ)らず、実家の父親の七光のお世話になる。当時は家柄社会だから関白の長男ならこのくらい、次男ならこのくらい、大納言の子ならこのくらい、とほぼ出世の限界がきまっていた。
だから、女の方としてみれば、なるべく出世の見込みのありそうな、いい家の息子を婿に迎えようと腕によりをかける。亭主どのが出世すれば、わが家も御安泰になることは、今も昔も変りがない。かといって夫に全生活をオンブしているわけではないから、その男と切れても、あわてふためくには及ばない。おもむろに、お次に現われてくるのを待てばいいのである。こんなとき、男の方も、
――何だ、あいつはセコハンじゃないか。
などとは言わない。ちなみに、日本の女の中に貞操観念が定着し、その見返りとして、処女性が尊ばれるようになったのは、ずっと後のことである。だから、婚前交際、試用期間はあるのがあたりまえで、その間には、何人もの男が出入りするというお盛んな例はよくあった。