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子供の父親を聞かれ「知る人ぞ知るよ!」

和泉式部も少女時代から、こうしたプレイガールのひとりだった。いつ彼女が初めて恋におちたか、男の肌を知ったかはあきらかではないが、今残っている歌をみると、交渉のあった相手はかなりの数になるらしい。

さてそのうち、彼女の前にマジメな相手があらわれる。和泉守道貞。年が多いのが玉にキズだが、県知事クラスのオジサマだ。しかもそのころの国の守はみいりの点では東京都知事など及びもつかない高額所得者である。やがて彼女はみごもったが、それと知ると、口さがない人々は黙ってはいなかった。

「あんた、それ、だれの子なの? 大分お盛んだったけれど」

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すると彼女はすまして答えた。

此の世にはいかが定めんおのづから昔をとはむ人にとへかし――そんなこと、だれがわかるもんですか。知る人ぞ知るよ!

アッパレな答えではあったが、結局道貞との結婚は長つづきしなかった。

しかし、これは、あながち彼女だけの責任ではなかったようである。金持ちオジサマの道貞も、なかなか打算的な男だったからだ。

夫が式部の両親に大盤振る舞いした理由

彼は式部と結婚したとき、わが家を舅の大江雅致に提供している。先に言ったように、男が女の所へ通って来てそこへ住みつくのがあたりまえのことだった当時としては、これは破格のサービスである。

道貞がかかるサービスをやってのけたのは、式部の魅力のとりこになったからかというと、そうではない。実は舅にとりいって、昌子内親王のサロンにくいこみ、一段の出世をしようというコンタンだったのだ。

国の守というのは、なかなかみいりのいい役どころだが、これはあくまでも地方官である。中央でいい役につかなければ、最終的な出世は望めない。だから何かの手づるをつかもうと、このクラスの人間は必死になる。そうした男にとって、皇后サマのサロンなどは絶好である。ここで忠勤を励めば、やがて皇后サマのお声がかりで、いい地位にありつけようというものである。