結婚は破綻し、夫は別の女と地方へ
もっとも、冷泉上皇は、生まれつき脳に障害があったと伝えられ、その皇后である昌子のサロンは、それほど時めいていたわけでもなかったが、しかし、利用価値は皆無ではない。この道貞の狙いはどうやらまちがってはいなかったらしい。というのは、昌子内親王が病気になると、この家は雅致の家という名目で、その静養所に利用され、それと前後して、道貞も舅の下役としてとりたてられたからである。まさしく事は思いどおりに運んだのだ。
ところが、まもなく思わぬつまずきがおこった。昌子内親王がなくなってしまったのだ。サロンは自然解消、とたんに道貞は冷たくなり、一家に出てゆけよがしをしたらしい。家つきカーつき(おそらく馬もたくさんあったろうから)の結婚は、ここで破れるが、はでなけんかもした。
「いいわよ、絶対にあなたのことなんか思い出さないから!」
という彼女の猛烈な歌も残っている。道貞は別の女をつれて、さっさと任地の和泉に下ってしまったらしい。
もっとも、そのころ式部には、すでに親しい恋人もいたのだという説もある。冷泉上皇の皇子で、美貌をうたわれた、当代きってのプレイボーイ、為尊親王がそのひとだ。為尊は昌子の子ではないが、ときおりおそらくごきげん伺いに来ることもあったようだから、そこで彼女を見初(みそ)めたのではないだろうか。
新恋人のプリンスは夜遊びがたたって急死
親王と中級官吏の娘の火遊び――マスコミのない時代にも、これには沸いた。こんなとき、えてして上流階級の人間は図にのるもので、おっちょこちょいの為尊は、人の噂にへきえきするどころか、ますますいい気になったらしい。
賀茂の祭の日、二人がいっしょの車に乗り、わざと思わせぶりに式部の乗っている方の簾(すだれ)を下げて、衣装だけをチラと覗かせ、都に話題をまきちらしたりしている。おそらく彼女が真の愛欲にめざめたのは、この遊蕩プリンスの濃厚な愛撫(あいぶ)の味を知ったからではなかったか。