「暴力の連鎖」や「憎しみの連鎖」なんかじゃない
今日、申し上げたい要点は4つあります。
1つは、現在起きていること、これはジェノサイド(大量虐殺)にほかならないということです。
テレビの報道番組を見ていると、地上戦がいつ起こるのか、地上戦が起きたらどうなるのか、ということが報道の中心になっています(10月20日時点)。私もメディアから取材の連絡を受けて、地上戦が起きたら何かコメントをしてくださいと言われました。
でも、「地上戦が起きたら」じゃないんです。過去の例からすると、地上戦が起きたら、死者の数もはね上がり、本当にとんでもないことになります。じゃあ今起きていることがとんでもなくないかと言ったら、決してそんなことはない。今、すでに起きていることがジェノサイドであり、とんでもないことなんです。
もう一点。日本の主要メディアは、このジェノサイドに加担しています。10月7日以降の出来事を報じる際、あるいはそれ以前からですが、ガザで、パレスチナで本当は何が起きているのかということを「報じない」ことによってです。
とりわけ10月7日以降の出来事を、あたかも「テロリスト集団のハマスがテロ攻撃を仕掛けた」といったイスラエルが流す情報を無批判にそのまま流している。これは日本だけではなく、アメリカやヨーロッパの主流メディアもそうです。
さらに、イランがどうの、ロシアがどうの、中国がどうの、といった国家間の、現在の国際政治の話しかしない。今日的、中期的、長期的な歴史的文脈を捨象した報道をすることによって、今起きているジェノサイドにも加担していると言えます。このことは本当に強く主張したいと思います。
今、起きていることはジェノサイドである。我々はこれを何とかして止めなくてはいけない。では、その問題の根源とは何なのか。その根本に立ち返ってしっかりと報道していたならば声を上げていたかもしれない人たちまでも、結局、「暴力の連鎖」「憎しみの連鎖」といった言葉に納得してしまい、「どっちもどっち」だと考えて、先に進むことがなくなります。こうした言葉を使うメディアは信用しないでください。「暴力の連鎖」「憎しみの連鎖」じゃないんです。こういった言葉に落とし込むような報道自体が、私は犯罪的だと思います。こうした言葉を使うことによって、結局、出来事を「他人事」にし、声を上げない、無関心でいる側にとどまることになります。
パレスチナで起こることは双方の憎しみが原因で、それゆえに暴力ばっかり起きていて、どっちもどっちだ、といったスタンスで距離を置くことによって、私たち市民までも、今、自分たちの目の前で、同じ地球上で起きているこのジェノサイドの共犯者になっているのです。