しかし「ふてほど」のトリンドル玲奈は「肌を見せてはいけない」と単純な主張を繰り返すだけで、阿部サダヲに激怒されると、最後は「俳優の好きにさせてみたい」と職務放棄にしか見えない発言に至る。しかもドラマ内ではこれがなんとなくいい話として扱われて話が進んでいく。
『エルピス』の佐野亜裕美プロデューサーはかつてTBSに所属していて、フリーランスを経てカンテレへ移籍して『エルピス』を作った。その経緯を考えても、佐野プロデューサーの古巣TBSのドラマでインティマシー・コーディネーターを揶揄するように登場させるのはさすがに悪趣味だ。TBSのホモソ的な悪ノリに見えてしまう。
ちなみに『ふてほど』の現場にはインティマシー・コーディネーターが入っていないという。
「もともとクドカンは、ずっと男子高ワチャワチャノリが大好き」
こうして徐々に『ふてほど』に対して批判的な声が大きくなる中で、「もともとクドカンは、ずっと男子高ワチャワチャノリが大好きなホモソドラマの人だよね」という“擁護”とも批判ともとれる声が増えてきた。これは確かに一理ある。長瀬智也の出演作品に代表される、男くさい、男だらけのホモソーシャルを魅力的に描くのがクドカンの得意技であることは間違いない。
それでも、筆者を含めて多くの人がクドカンに弱者への繊細さを期待してしまったことにも、理由がある。『あまちゃん』や『いだてん〜東京オリムピック噺〜』など、切り捨てられてしまった少数派に光を当てる作品を多く作ってきたからだ。
しかし冷静に考えてみれば、クドカンドラマに登場する女性はステレオタイプを繰り返している。
『木更津キャッツアイ』の酒井若菜に始まり、『あまちゃん』ののん/能年玲奈に至る「ちょっとアホ可愛い女子」の系譜と、『あまちゃん』の橋本愛や小泉今日子に代表される「ヤンキー」の系譜、その他大勢の「面倒見が良く、情が深く、優しく温かく豪快で、男を許し、受け入れてくれるおばちゃん/お母さん」の系譜の3種にほとんどが収まる。
“女性の連帯”をテーマにした『監獄のお姫さま』(2017年)でも、肯定されたのは面倒見が良くあたたかく懐の深い「おばさん」たちだった。
昨年8月からDisney+で放送が始まった『季節のない街』で、クドカンは貧困やホームレス、発達凸凹、認知症、父親が全員違う子どもたちなど、ワケアリの人々を魅力的かつ繊細に描いてみせた。