1980年(184分)/東映/3080円(税込)

 あおい輝彦のフィルモグラフィを俯瞰してみると、一九七〇年代半ばから八〇年代にかけての、日本映画界全体が大作映画を連発していた時代に、重要なポジションで配役され続けていたことに気づく。

『続・人間革命』で原作者・池田大作をモデルにした青年を演じたのを始め、『犬神家の一族』では作品の代名詞となる仮面の男、『病院坂の首縊りの家』では全ての事件の発端となる生首男、『雲霧仁左衛門』では盗賊団の実行部隊、『真田幸村の謀略』では主人公のひとり猿飛佐助、前回取り上げた『江戸川乱歩の陰獣』ではオールスター大作で堂々たる主役を張っている。

 その魅力は、真面目な青年が常軌を逸してしまう役柄で発揮されていた。特に印象的なのは、ガラス玉のような、大きくてキラキラ輝く独特の瞳だ。純粋さと、それ故にとり憑いてしまう狂気とを表現するのにピッタリだったのだ。

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 先に挙げた作品はいずれもそうした役柄だし、八〇年代に東映が続けて作った戦争映画でも同様だった。中でも今回取り上げる『二百三髙地』がその最たるものだ。

 日露戦争の激戦地である旅順要塞の攻防戦を描いた作品であおいが演じたのは、最前線の小隊長・小賀である。

 小賀はロシア文学とロシア人を愛する小学校教員だったが、日露戦争に徴兵される。

「美しい國 日本
 美しい國 ロシア」

 そう黒板に書き、自分が帰還するまではこれを消さないように生徒たちに説く。

 だが、旅順要塞での激戦が続き、戦友たちが次々と悲惨な死を重ねていく中で、彼もまた変貌せざるをえなくなる。「ロシア人はすべて、自分の敵であります!」と言い切るほどに、ロシアに対して凄まじい憎悪を募らせていくのだ。

 上官の命令に反して捕虜を殺そうとしても「自分は悔いることは毛頭ありません。最前線の兵には、体面も規約もありません。あるものは、生きるか死ぬか、それだけです。兵たちは、死んでゆく兵たちには、国家も軍司令官も命令も軍紀も、そんなものは一切無縁です。灼熱地獄の底で鬼となって焼かれていく苦痛があるだけです」と言い放つ。

 戦死の場面も強烈だ。二百三高地でロシア兵が小賀の喉にかみつき、一方の小賀は指を敵兵の眼球に突っ込む。そして憎悪と憎悪をぶつけ合う中で、双方ともに息絶える。

 こうした場面において、あおいの表情からは序盤の理想主義者の面影は消えている。純粋な瞳が狂気に侵食されていく――。その様が、最前線の「地獄」の恐ろしさを何より雄弁に伝えていた。

 あおい輝彦もまた、重要な「名優」だったのだ。