〈その後、記者は学習院長の乃木大将を赤坂新坂町の自邸に訪ねた。来客があって将軍自ら玄関にいたので、松本部長とのやりとりを手短に述べ「退学のような過剰な処置がないように願います」と言った。将軍は「その件はまだ確定していないので、あなたの話は拙者において含み置くことにする」と答えた。
武士の一言金鉄のごとし。学習院長・乃木陸軍大将が含んで置くとの一言は、本社の可憐な少女への心遣いが決して空しいものではないことを感じさせた。
ところが、その翌日の10日に情報が入り、女学部は再びヒロ子の保証人を呼び、「この際、自分から退学することを勧告したという。意外意外、金鉄の一言溶けて水のごとし。記者は11日、保証人・山下啓次郎氏を訪問。事実かどうかを確認した〉
このあたり、日露戦争の英雄、乃木大将に対する感情がうかがえる。
ヒロ子の保証人である山下啓次郎の話は――。
〈9日、女学部から呼び出し状が届き、10日に出頭したところ、佐野学監からいろいろな説明があり、「そちらにも信念があり、理屈もあるだろう。しかし、こちらは議論は好まない。この際、ヒロ子嬢が自ら退学されることを望む。ちょうど定期休暇になるので、いま退学すれば他の生徒にも目立たないだろう」ということだった。
「どんな理由で退学する必要があるのか」と反問すると、「学校の主義に反する次第。だが、いまは議論する時ではない」と言を避けた。自分は「そのまま受け取るわけにはいかない。熟考のうえ本人の父たちとも協議して返答する」と言って引き下がってきた〉
「相当の方法とはどういう意味か」
意外なのは、記者が松本女学部長、乃木院長のいずれもから「含んで置く」という答えを得た翌日の出来事だったこと。呼び出し状が届いたのは9日だから、学校が退学勧告を決めたのは記者への回答の当日。呆然とならざるを得ない。驚きを抑えて学習院女学部に行き、松本女学部長に対面して次のような一問一答を交わした。
〈記者 時事新報の言い分を含み置いてくださるという話だったが、保証人に反対の説明があったのはどういう次第か。
部長 実はあの日にあれから協議会を開いてそのようにすることに決まったので……。
記者 ヒロ子嬢に自分から退学することを勧告したのか。
部長 いや、そう具体的に申し渡したのではない。ただ、煎じ詰めれば「引退」の意味になるかもしれないが……。保証人に応接したのは佐野学監だが、学校からの申し出としては、単に相当の方法をとってほしいということ。
記者 相当の方法とはどういう意味か。方法を示したか。
部長 学校としては示していない。だが、学監は個人として第一に、時事新報から写真を撤回することを勧めたと聞いている。
記者 時事新報はその交渉には応じない。当初から写真を提出した者との約束であるだけでなく、外国の新聞社との確約を遂行する義務と責任があるからだ。
部長 もっともだ。自分もそう信じている〉
話がかみ合っていない。だが、やりとりにはどこか時代を超えたリアリティーがある。