自由奔放なギャル2人と、キザなギャル男が織りなす“パリピ漫才”が人気のお笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」。ツッコミ担当・すがちゃん最高No.1(32)は3歳のときに母親を亡くし、破天荒な父親と個性的な家族のもとで幼少期を過ごした。

 しかし、小学生になると父親が家出を繰り返すようになり、中学1年生のときには、家族全員が家からいなくなる。12歳で一人暮らしをすることになった彼は当時、何を思い、どのように生活していたのだろう?

 4月26日に著書『中1、一人暮らし、意外とバレない』(ワニブックス)を上梓するすがちゃん最高No.1に、話を聞いた。(全3回の2回目/3回目に続く)

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すがちゃん最高No.1 ©細田忠/文藝春秋

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小学校時代から家出を繰り返していた父親

――お父さんはどうして家を出て行ってしまったのでしょうか。

すがちゃん最高No.1(以下、すがちゃん) 「この日を境に」みたいな出来事があったわけではないんですよね。徐々にフェードアウトしていく感じで、小学校の時はいないことの方が多かったです。

――寂しくなかったですか。

すがちゃん 小学生当時は「伯母さんがいればいい」と思っていました。だから親父が帰ってきて「うわ、親父帰ってきたよ」と思う時もあれば「親父帰ってきたかー」と嬉しく思う時もあるみたいな。でもそれは、親父が気まぐれに買ってくる面白いお土産があるかどうかで決まりましたね。

 

伯母さんが家から出て行った理由

――お父さんがいない間、家庭の経済状況に変化はありましたか。

すがちゃん 明らかに生活水準が下がった感覚がありました。家の電気が止まったりして、ろうそくで生活をしていたこともありましたね。そのときの家庭の収入はおじいちゃんとおばあちゃんの年金と、伯母さんのパートのお給料くらいだったと思います。

 今思うと、伯母さんはかなり追い詰められていたんだろうなと思います。やりくりをしていたのは伯母さんで、性格も真面目だし、何よりも僕に不自由がないようにしてくれていました。ごはんを作って食べさせてくれたり、クリスマスや誕生日にはなんとかお金を作ってプレゼントをくれたりして、僕に全てを捧げてくれていたと思います。

――すがちゃんさんが小学5年生のときに伯母さんが家から出て行ってしまったそうですね。それは、限界が来てしまったからなのでしょうか。

すがちゃん 多分、家にいるのがとにかくきつかったんでしょうね。親父がふらっと帰って来たりなんかした時、おばあちゃんとか伯母さんが親父に怒っていて、大げんかになったりするのが僕も嫌で。

 だいたい親父が、家が吹き飛ぶくらいの大声を出したり物を壊したりして全員「シーン」となって喧嘩が終わるんですけど、そういうのはよくあったので。