財産のために家族皆殺しを決意
〈5.東京在住の基夫が死亡。妻のくら子と3人の子どもが2万円の遺産を持っていたことから、菊枝を離別してくら子と再婚し、兄の遺産を手にすると同時に、家督相続人になろうとした。法要のため龍野に来たくら子に伝えたが拒絶され、両親にも相手にされず、くら子は実家へ。3人の子どもは龍野の高見家で太蔵夫妻に養育されることに
6.ここに至って次夫は財産上の欲望を達するしかないとして、毒薬を購入して家族を皆殺しにしようと計画。1925年(大正14)年8月、菊枝に計画を明かし、「それが成功した時には、夫のため犠牲になり、全責任を負って自殺しろ」と迫った
7.菊枝は長年忍従してきた境遇を顧み、次夫の心情を洞察して、旧武士の家庭の教養を身に付けた信念から、(義理の)親に対する「孝」と夫への「貞」が両立しないことを苦慮。思い迷ってひそかに兄・俊夫に手紙で漏らした
8.同年10月、太蔵夫妻が家督相続人に考えていた基夫の長男が病死。次夫は自分が相続人になろうとしたが、両親は彼の性格と素行から応じず、次夫の弟や基夫の子どもらに分配することを決めた。太蔵が死亡した場合でも財産は自分のものにはならないことがはっきりした
9.5月14日、太蔵は五郎を連れて基夫らの納骨の後、大阪で財産分与の処理をすることになった。ここで、次夫は財産分与の望みは絶え、家督相続と家業承継も期待できないと考え、つねと相続人である朝子と綾子を殺害して、罪を菊枝になすりつけることを決意した〉
これで“条件”はそろった。惨劇が始まる。