大正から昭和に年号が変わる1926年に事件は起きた。「醤油の街」兵庫県龍野町(現たつの市)の麹製造業で財を成した高見家で、当主の妻・つねと2~12歳の孫5人が殺された。遺体には五寸釘(長さ約15センチの大型の釘で、呪いのわら人形を打ち込む時などに使われる)が打ち込まれ、次男の妻・菊枝は死んだ次女を背負ったまま首をつっていたという、すさまじい事件だった。

 当初は「嫁姑の争い」の果てに菊枝がつねと子どもたちを殺害して自殺したとされ、報道はセンセーショナルにエスカレート。社会に大きなショックを与えた。ところが、彼女の遺書の不審点などから、“真犯人”が判明する。“真犯人”の言動、法廷での態度などからは事件の“異様さ”が浮かび上がる。約1世紀前、そうした犯罪はどのようにして起き、どのように世間に伝えられたのか。事件は地域や警察の正史に記載されず、やがて人々の記憶から薄れていった。それはなぜなのか。そして最後の謎は――。

 文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全3回の1回目/続きを読む)

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 事件が最初に報じられたのは、近畿地方が季節外れの寒気に覆われていた1926年5月17日の朝刊。当時の兵庫県の地元紙の1つ、神戸又新日報(又新)の、事件の第一報と同じ紙面には「炬燵(こたつ)欲しやの(この)寒さ 初夏と言ふに最低9度6分 明治37年以来の寒気だと」という記事が見える。事件の記事は社会面2段と驚くほど小さい。

次男の妻が「姑への復讐のため」一家6人を殺して自殺した?

 一方、大阪で発行されていた大阪朝日(大朝)、大阪毎日(大毎)は社会面の大半を使い、大阪時事も3段で報じたが、いずれも「次男の妻の犯行」と決め込んだ報道だった。そのことを頭に入れたうえで、「虐げられた嫁が 一家六人を惨殺す」という見出しではじまる大朝の記事を見よう。

大阪毎日による事件の第一報。社会面の大半を使い、高見家の次男である次夫の妻・菊枝の犯行と断定している

 虐げられた嫁が 一家六人を惨殺す 姑には五寸釘を打込み 自分は死兒(児)を負うて縊死(いし)

 

 播州龍野の麹屋で行は(わ)れた惨劇

 

 16日午前2時半ごろ、兵庫県揖保郡龍野町下河原町、醤油用麹製造業、高見太蔵(60)方で、次男・次夫(35)の妻菊枝(28)が日頃から自分を虐待する姑(太蔵の妻)つね(58)を恨み、その復讐のため、つねとつねが溺愛していた孫2人を惨殺。さらに自分の子ども3人を死出の道連れに殺して自殺を遂げた。

 

 惨劇が行われた高見太蔵方は資産5~6万円(現在の約8200~9900万円)を有し、かなり手広く営業しているが、太蔵は関東大震災で死亡した長男、基夫の遺骨を納めるため、龍野中学4年生の五男・五郎(17)を伴って京都へ行き、ついでに商用で大阪に立ち寄っている留守中にこの悲惨な出来事が起きた。

縊死=くびをくくって死ぬこと

 次男の妻については、新聞によって「菊江」「キクエ」「きくゑ」など表記がバラバラだが、判決文に従って「菊枝」で統一する。ここまでの記事で事件の大筋は分かる。続いて具体的な状況が描かれる。