大正から昭和に年号が変わる1926年に事件は起きた。「醤油の街」兵庫県龍野町(現たつの市)の麹製造業で財を成した高見家で、当主の妻・つねと2~12歳の孫5人が殺された。遺体には五寸釘が打ち込まれ、次男の妻・菊枝は死んだ次女を背負ったまま首をつっていたという、すさまじい事件だった。

 当初は「嫁姑の争い」の果てに菊枝がつねと子どもたちを殺害して自殺したとされ、報道はセンセーショナルにエスカレート。ところが、菊枝が残した遺書の不審点、実家の兄に送った手紙などから、全ては菊枝の夫・次夫の犯行で、妻に罪を被せようとしたことが判明。次夫の言動や法廷での態度などからは、事件の“異様さ”が浮かび上がる。そして、最後の謎は――。

 文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全3回の3回目/はじめから読む)

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事件は当時の新聞に大きく取り上げられた。妻に罪をかぶせようとした「一家6人殺し」の犯人・次夫が有罪となったことを報じる大阪時事の紙面

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 一家6人を殺した犯人は、惨劇の日にただ1人生き残っていた次夫だった。すべての罪を被って自殺するよう次夫に説得された菊枝は、遺書を書き残し、娘の亡骸を背負って首をつった――。

大阪時事に掲載された高見家の写真
高見家の相関図

 事件の全容が判明してから、次夫に関する新聞の表現は一変した。

「何(な)んといふ兇悪さか 犯罪轉(転)嫁の用意周到」「鬼畜の如き兇悪漢次夫」といった見出しが登場する。労農党(当時)国会議員で生物学者の山本宣治は「現代の両性問題」(『山本宣治全集第5巻』所収、1929年)で、この事件の報道について「興味本位で書き立てると、大阪あたりで同じように興奮した女が夫を斬るわ、嫁いじめした姑もそろそろ怖くなってくるころに事件は急転。それと同時に新聞は鳴りを潜めた」と皮肉っぽく書いている。

 対して時事新報主幹を務めた内海了三の『新聞の「嘘」』(1932年)は、次夫の犯行と判明した時、「新聞はよくもあんなにうそを書いたものだ」と読者が嘆いただろうとしたうえで、「しかしながら、この事件については、新聞がうそを吐いたというのは酷である。なんとなれば、警察も検事局もこれを嫁の姑殺しと信じていたらしく、世人も一点の疑いも挟まないほど、それに合理性を認めたからである」と弁明。こう付け加えた。

「もしこの事件で誤報の責任を問われるならば、それはこの事件だけに関するものでなくて、一般に警察記事取り扱いの態度について負うべき責任であると言わねばならぬ」。