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『三十九件の真相』は「夫を天とし、夫の頼みとあらば、命でも喜んで捨てよと教育されて嫁いできた」と指摘。菊枝が次夫の殺意を知った時、「兄も父も、断固として正しき道を指示すべきであったのに、彼らはただ女大学の抜け殻を並べて、婦徳をもって夫を翻意させよ、妻としてひたすら夫をいさめよ、と無理なことを言ってやっただけであった」として「まさに女大学の悲劇であろう」と結論づけた。

「女大学」は江戸時代に広く普及した女子教育の指導書のことで、封建的で女性に隷従を強いる道徳を推奨していた。そのことも全否定はできないが、さらに強い思いがあったのではないか。

暗く物悲しい女の人生の哀れと不条理

 結婚した家庭は姑の「圧制」に虐げられた忍従の日々、頼りにしたかった夫は家庭に目を向けず、共に生きている感覚がない男。未来に夢も希望も持てない生活の中で、生きがいは子どもたちの成長ぐらいだった。

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 その1人が殺され、加害者が夫という事態に直面した時、女に「これ以上、生きていても仕方がない」という絶望感しか残らなかったとしても不思議はない。生き残るはずの2人の子どもの行く末だけが心残りだったから、それだけ遺書に書いた――。

 想像すると、女権拡張などという、当時の風潮から遠く懸け離れた世界に生きなければならなかった、暗く物悲しい女の人生の哀れと不条理を思わずにいられない。

 この事件は『兵庫県警察史』でも『龍野市史』でも触れられていない。街のイメージにそぐわない陰惨な出来事とみられたからだろうか。一方、当時は仏教関係者によく取り上げられた。赤沼智善『佛教生活の理想』(1928年)は「実に極悪非道と言おうか、悪鬼羅刹と言おうか、言おうようなき人非人(にんぴにん)というのが今日世間一般の定評だと思います」と書いている。次夫の中に「悪の典型」を見ただけでなく、寒々とした暗黒の犯罪にも、どこかに救いを求めたかったのだろう。

 死刑執行後の神戸の紙面には、執行を聞かされた菊枝の両親の言葉がある。「次夫さんは全くかわいそうな男ですね。自分の犯した罪も懺悔せず、仏の道にも仕えず死んでいくとは本当に哀れなものです」「せめて遺体だけでも菊枝のものと一緒に葬ってやりたいと思います」。これがこの事件でのささやかな救いのように思える。

【参考文献】
▽小泉輝三朗『三十九件の真相』(読売新聞社、1970年)
▽山本宣治「現代の両性問題」=『山本宣治全集第5巻』所収=(1929年)
▽内海了三『新聞の「嘘」』(銀行問題研究会、1932年)
▽田中香涯『猟奇医話』(不二屋書房、1935年)
▽赤沼智善『佛教生活の理想』(法蔵館、1928年)
▽『警察研究資料第14輯』(内務省警保局、1927年)
▽石原元吉編『写真集明治大正昭和龍野:ふるさとの想い出176』(国書刊行会、1980年)
▽河合四郎監修『目で見る龍野、揖保、宍粟の100年』(郷土出版社、2002年)
▽法務省法務総合研究所編「犯罪白書(昭和42年版)」(1967年)
▽中野信子『サイコパス』(文春新書、2016年)