1ページ目から読む
4/5ページ目

浮かび上がる次夫の犯行の“異様さ”

 病理学者・作家の田中香涯は『猟奇医話』(1935年)で次夫の性格について、「犯行が発覚して獄中にあっても頑として罪状を認めず、あくまでしらを切り、凶行を妻菊枝に転嫁して少しも悔い改める様子がない。予審判事がじゅんじゅんと聖人・賢人の教えを説き、因果応報の理を説いて暗に自白を勧めても、どこ吹く風というように聞き流し、凶行現場の惨状の写真を見せても一滴の涙も流さず、その冷血、酷薄は実にあきれるほかなかったという」と指摘。

酸鼻(さんび)を極めた現場」(『警察研究資料第14輯』より)

 犯行時の言動と動物への虐待なども合わせて「彼が生来道徳観念の欠乏した先天犯人、いわゆる悖(背)徳狂(症)の人間であることは一点の疑いもない」と断言した。

 昭和42年版「犯罪白書」によれば、19世紀初頭には感情・気分・性向・習慣・道徳的努力及び衝動の病的な抑制欠如を特徴とする精神障害を「背徳狂」と呼んだが、それは「犯罪性精神病質」の中核をなすものであるとはいえ、こんにちはもう使われていないという。一方、中野信子『サイコパス』(2016年)によると、1891年にドイツの精神科医が「背徳狂(症)」と重なる良心の欠落した反社会的人格を初めて「サイコパス的障害」と名づけたとしている。

ADVERTISEMENT

わが子まで殺した夫から「罪を被って死んでくれ」と迫られた菊枝の心情は

 死刑確定後の大毎で中島上席検事は「事件には2つの疑問がある」と述べている。「1つは、次夫が母を殺し、妻を死に至らしめ、さらに3人の愛児まで殺して、自分1人が生と財産に執着し、生を享楽しようとした点、いま1つは、妻菊枝の死に際しての心理状態。この2つはどんな宗教家でも心理学者でも、おそらく神以外の者は解き難い謎としなければならないだろう」。

 その通りだと思う。特に、凶器で脅されたとはいえ、義母とめい2人、さらにわが子まで殺した夫から、「身代わりに罪を被って死んでくれ」と迫られ、遺書まで書いて縊死した菊枝の心情はどんなものだったのかと考える。