大正から昭和に年号が変わる1926年に事件は起きた。「醤油の街」兵庫県龍野町(現たつの市)の麹製造業で財を成した高見家で、当主の妻・つねと2~12歳の孫5人が殺された。遺体には五寸釘が打ち込まれ、次男の妻・菊枝は死んだ次女を背負ったまま首をつっていたという、すさまじい事件だった。

 当初は「嫁姑の争い」の果てに菊枝がつねと子どもたちを殺害して自殺したとされ、報道はセンセーショナルにエスカレート。社会に大きなショックを与えた。ところが、菊枝の兄の“証言”により事件は急展開する。

 文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全3回の2回目/はじめから読む)

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事件が起きた兵庫県龍野町(現たつの市)の全景(『写真集明治大正昭和龍野:ふるさとの想い出176』より)

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「姑にいじめられていた女が一家6人を惨殺し、『母を殺しました、わたしも死にます』と遺書を残して自ら命を絶った」

 こんな筋書きで、事件の犯人は菊枝であると断定したまま報道は過熱していった。そうした中、疑問を投げ掛けたのは神戸又新日報(又新)。5月18日付朝刊で事件の全体像を報じる中で「疑惑の目は次夫に」(※次夫=当主の次男であり、菊枝の夫)という記事を載せた。

各紙が菊枝の犯行だと断定して報じる中で、初めて「疑惑の眼は次夫に」向けられた(神戸又新より)

本当に女1人にこの残虐な犯行ができたのか?

 菊枝は生来内気な性質で、女1人で短時間にかくも多数の者を殺すような、残虐極まる手段で殺害したとは受け取れない節がある。また夫次夫が庭を隔てた麹室に寝ていて一切を知らず、(午前)1時半ごろ、表をたたくような音がしたので初めて起き出てみると、この始末に大いに驚き、家の雇い人のところへ「早く医者を5~6人呼んできてくれ。うちは全滅じゃ」と駆けつけた。

 

 事件発生を全く知らなかったと言っているが、麹室は何も寝るような設備はないだけでなく、羽織を着込んで、平常の仕事着は表の土間に掛けてあるなど、麹室にいたとは信じられず、ますます同人に疑惑の目は向けられている。

 それでも報道の主流は変わらなかった。各紙の紙面には家庭内の確執、家族1人1人の性格、言動などをおどろおどろしく取り上げた見出しが躍った。

新聞は家族のことなどをセンセーショナルに書き立てた(大阪毎日より)

「けちで道樂(楽)な夫 非常に毒々しいしうとめ」「嫂(あによめ)に注ぐ夫の眼に姑は凄く微笑んだ」「姑と、菊枝夫妻のあひだに蛇の様に絡んだ執念」……。いまのテレビワイドショーや週刊誌報道も顔負けの過熱報道がまかり通った。