事件を急展開させた菊枝の兄の“証言”
他紙では大毎が号外を発行。朝刊では1面トップで見出しは「龍野の6人殺しは 果然!次夫の單獨兇行 きく江は一切手を下さぬ」だった。
大朝も「菊江の夫次夫が意外にも 一家六人殺の眞(真)犯人」と社会面ほぼ全面を使って展開。菊枝の兄・俊夫の談話が大朝、大毎に載っており、彼が事件解明に大きな役割を果たしたことが分かる。大朝の記事を要約してみよう。
〈菊枝が今回の事件を起こしたとは最初から絶対に信じていなかった。新聞には姑と嫁の醜い葛藤と報じられていたようだが、それは全然うそで、原因は血を分けた親と子(つねと次夫)の醜い争いだった。
惨劇は突発的に起こったものではなく、既に1年以上前から計画されていた。親が子を平等に扱わない、それが次夫さんを今回の凶行に走らせた原因だ。高見家の財産分与はもとより、基夫の遺産分配にも次夫は一言の相談も受けていなかった。つねさんは彼に「家と麹業をやる」と言ったが、それも自分たち親が死んでからのこと。やがて自分のものになる家にいながら、好きな酒も小遣い銭も自分の自由にならない彼は自暴自棄になったのだろう。
去年の8月、菊枝から来た手紙には「次夫が一家を皆殺しにしてやると言っている」とあったのでギクリとした。菊枝には次夫さんをなだめ、つねさんには次夫さんの考えを伝えて用心した方がいいだろうと返事した〉
警察・検察の捜査方針の変更は、俊夫がこの菊枝の手紙を持ち込んだことからだとみられる。
大朝は「次夫は取り調べの詰問に耐えられず、23日に至って犯行の一部を自白したものらしい」と記した。大毎と同様、犯行状況も記事に書いているが、詳細ではない。のちに出る予審(判事が公判に付すかどうかを判断する手続き)の決定書も、次女・妙子を殺害したのは菊枝だとするなど、事実関係に食い違いがある。翌1927(昭和2)年5月17日に下された一審判決に頼るしかない。判決文を要約する。