ただ1人生き残っていたのは当主の次男・次夫
事件発覚時、次夫は同家の麹室で寝ていたが、縁側で異様な物音がするので、起きてきた雇い人が発見して仰天。次夫をたたき起こした。縁側に行ってみると、菊枝が小紋縮緬の晴れ着に盛装して縊死しているのを発見。背中に腰ひもで絞殺した次女・妙子(2)を負っているのを見て大いに驚いた。
それから奥の間を見ると、つねが左のこめかみから右のこめかみへ鑿で突き刺され、左の耳の後ろと背中に5~6本ずつ五寸釘が打ち込まれていた。基夫の長女・朝子(12)は胸を出刃包丁で刺され、次女・綾子(8)は頸動脈を切られていずれも即死。近くで次夫の長女・晴子(5)と長男・基一郎(4)も絞殺されていたので、腰を抜かすほど驚いて隣の家に駆けつけ、寝ていた隣人を揺り起こして龍野署に通報させた。
龍野区裁判所から生松検事、姫路支部裁判所から中島上席検事と川又検事、兵庫県刑事課から平田課長以下多数の刑事が出張。ただ1人生き残っている次夫を龍野署に引致して取り調べた結果、菊枝が姑つねの虐待を恨んでの凶行と判明した。
※麹室=醤油に使われる醤油麹は種麹に大豆と小麦を加えて作るが、そのための温室のこと
つねは“厳しい姑”として知られていた
綾子については「絢子」と表記した新聞がある。発覚時の経緯はのちに、次夫が発見して雇い人に知らせたと分かるが、まさに異様で凄惨な現場だった。大朝の記事は「孫まで苛めぬく姑 恨みに堪へ(え)かねて兇(凶)行 母子とも晴(晴)着を着て」の小見出しを挟んで次のように続く。
菊枝が凶行を演じた原因は、つねが近所でも評判の鬼婆で、日頃から菊枝のやること、事ごとに難癖をつけて虐待していたこと。2人は犬猿の間柄で、近所の人たちも「よくまあ、あの姑に仕えて、菊枝さんは辛抱ができる」と同情されているくらいだった。つねは菊枝が憎くてたまらず、その子ども3人もいじめられ通し。つねは基夫の遺児2人だけを溺愛していたので、菊枝は悔しくてたまらず、無念は骨髄に達し、復讐の折があればと待っていた。
太蔵が15日、五郎を連れて大阪に行った後で、つねと小競り合いになり、次夫が麹室に入ったので、酒を飲ませてそこで寝かせた。まず寝ていたつねののどを満身の力を込めて出刃包丁で突き刺し、のみで胸部を突いてとどめを刺した。朝子、綾子の順に出刃包丁で突き殺し、その日に同町の金物屋で買い込んだ五寸釘を5~6本、つねの頭部に打ち込み、見るもむごたらしく殺害した。
自分も死ぬ決心で、たんすから小紋縮緬の着物を出して着替え、自分の子ども3人を後に残しておくのも気がかりで、死の道連れにしようと、それぞれ晴れ着を着せて寝かせ、絞め殺した。こうして6人を殺害。最後に縁側に出て縊死を遂げた。菊枝はかねてから次夫に対して、あまり義母のやり方が気に入らないから、みんな道連れにして殺してやると口走っていたという。