引退が決まっている青野だが、まだまだ探究心は旺盛だ。
副立会の千田翔太八段に、「予想通り力戦になりましたね」と話を向けると、
「そうですね。ただ駒組み自体は藤井さんが楽そうです」
というのは……?
「藤井さんが次に銀を5段目に進出させると、銀が中央を制し、飛車の横利きも通り、制空権を握ります。しかしそれを防ぐ手が難しいです」
同じく副立会の中村太地八段も、「先手1歩得で飛車の働きも違うので」と先手持ちの見解だった。唯一の前例の将棋(糸谷哲郎八段との竜王戦)で先手を持った高見泰地七段にもメールで意見を聞いたが、「私の指した手でも名人戦の進行でも、先手番の利は残っていると思います」とのことだった。
午後1時に休憩があけ、やがて豊島は9筋に角を放った。飛車取りとはいえ、なんでこんな狭いところに? 「えっ」と驚く控室。控室には何人もの棋士・女流棋士が訪れていたが、みな豊島の真意がわからず首をひねる。藤井はおとなしく飛車を引き揚げると、豊島はさらに銀を押し下げて、そして自ら角を引いた。
追われてもいないのに引き揚げるの? またも驚く控室。そして、豊島はさらに角を出る。打った角を2手かけて動かし、手を渡すとは。しかし、検討を進めるうちに、手強い局面であることに。押し下げられた藤井の飛車と銀、さらには金の働きが弱く、位置関係も悪い。それに対し、4四にいる角の働きが絶大なのだ。
桂打ちの王手だけは防ぎたい…だが藤井は歩を突かない
豊島が得意とする「駒の働き」を重視する組み立てだ。佐藤天彦から名人を奪った2019年の名人戦第4局では、銀桂損で優勢という局面を作り上げた。構想力こそ豊島将棋の真髄だ。
藤井玉は隣の歩が凹んでいるため、桂を渡すとすぐ王手がかかってしまう。金銀3枚で守られた豊島玉では安全度がまったく違う。左辺の形も悪く、形勢はともかく藤井に負担が大きい。
藤井の表情が、だんだん険しくなる。体がまるまっていく。重心が下がり盤面に集中していく。
大盤解説は藤井猛九段と脇田菜々子女流初段。超スローペースな対局だったが、藤井猛の見事な話術で観客を一時も飽きさせなかった。控室でも絶好調で、いまやネットミームとなった「雑だね」のポーズを決める。