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結婚願望はあったが26歳の女弁護士に縁談は来なかった

女学校時代には、恋愛や結婚に憧れて友人たちと恋バナに花を咲かせたこともある。弁護士を志すようになってからは、その思いを封印して勉強に没頭してきた。しかし、結婚を諦めていたわけではない「私は結婚しない」などと彼女の口から発せられたことは一度としてなかった。

思いを封印していただけ。目標を達成すれば、その封印も解ける。両親や知人たちも彼女の心境の変化を察し、婿探しに奔走したようだ。

だが、条件の良い縁談話がない。法律を学ぶ女性が「恐ろしい」といわれた時代だけに難しい。また、弁護士の研修を終えた時にはすでに26歳になっていた。当時、女性の結婚適齢期は23歳頃。それにくわえて、日中戦争が始まってからは若い男性が次々に召集され、結婚適齢期の男女比はいびつなものになっていた。結婚相手を見つけるのは至難の業だっただろう。

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嘉子の周囲で最も好人物だった元書生の和田芳夫

「当人も結婚話とは縁遠くなり、周囲をながめて最も好人物であった和田芳夫と結ばれたのは二八歳の時です」

『追想のひと三淵嘉子』のなかで、嘉子の実弟・武藤輝彦が結婚の経緯についてこのように語っている。

和田芳夫は嘉子の父・武藤貞雄が中学校時代から仲良くしていた友人の親戚だった。武藤家では郷里・丸亀から上京してきた若者を住まわせて世話していたのだが、彼もその中のひとり。苦学して明治大学夜間部を卒業し、貞雄が関係する会社に就職した後も武藤家に住みつづけていたという。長く同じ屋根の下で暮らしていただけに、ふたりは昔から気心の知れた仲ではある。

しかし、手近なところで妥協したというわけではない。芳夫は努力家で優しい性格であり、貞雄やノブからは好人物として気に入られていたようだ。以前から花婿候補として目をつけていたフシもある。花婿の最有力候補として温存し、嘉子がその気になるのを待っていたのかもしれない。